因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

チェルフィッチュ『ゾウガメのソニックライフ』

2011-02-11 | 本と雑誌

*岡田利規作・演出 公式サイトはこちら 神奈川芸術劇場大スタジオ 15日まで
(1,2,3,4,5)
 はじめて神奈川芸術劇場に足を運ぶ。小雪がちらついてひどく寒い。あいにくの天気だが、新しい劇場へ行くのはやはり心浮き立つ。それにしても立派な建物だ。空間の使い方も贅沢で、やや気後れしそう。エレベーターで5階にのぼり、左は宮本亜門演出の『金閣寺』、チェルフィッチュは左側にすすむ。通路のようなロビーというのか、多少居どころに迷う作りである。開場が告げられ、整理番号順に入場するが、ここでもどう進めばよいのか少し迷った。なかは舞台も客席も想像していたよりずっと広い。ステージの高さ、広さ、奥行きもたっぷりで、吉祥寺シアターが広くなったような雰囲気だろうか。全席自由。前から2列めに座った。

 人にはそれぞれ持って生まれた気質があるし、これまで過ごしてきた演劇人生、演劇歴があり、何かに触発されて変容することもあるが、自分の努力ではどうにもしようがないものもあるだろう。目から鱗が落ちるような、それまでの演劇歴、演劇観が覆されるほどの演劇体験もある。それはもやもやした心のうちが一気に晴れ渡るように爽快であったり、逆に打ちのめされてしばらくは立ち上がれないくらい落ち込むこともある。しかしいずれも自分の演劇人生を豊かにするものであり、自分はそういう出会いを求めて劇場に通うのだ。

 さて、これまでの記事を読み返すまでもなく、自分は岡田利規の舞台とあまり相性がよくない。今回もがんばってみたがやはり難しかった。舞台に集中できない。俳優の表情を読み取り、台詞に耳を傾けようとしても、からだの動きや映像や装置などに意識を遮られるのである。

 たとえば、登場した女性が「自分は旅行に行きたいと思うのだが、日常生活が大事で、それを充実させなければならないということがプレッシャーだ」(台詞は記憶によるもの)という気持ちは妙に納得できる。その気持ちにもっと知りたい、この女性に近づきたいと思うのに、その意識が続かないというのは、非常にもどかしいのである。理解、把握、考察の義務から解放されて、もっと伸び伸びと自然に目の前のパフォーマンスを楽しめばよいのか、斬新だ、新鮮だとも思えず、いまだに接し方がよくわからない。

 1月の覚え書きに記したが、岡田利規の短篇小説を読んではじめて自分なりに腑に落ちる感覚を得た。今日みた舞台も、文字で読んだら印象が変わるのかもしれない。しかしそれはいわゆる戯曲の形式ではなく、小説、散文に近いものになるのではないかと思う。

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