*鈴木アツト作・演出 公式サイトはこちら 日暮里・ART CAFE百舌 9日のみ(1,2,3,4 5,6,7,8,9,10,11,12)。2007年の初演、2009年の再演を経て、次週14日から16日まで、D.Festa大学小劇場祝祭参加作品として、劇団印象第一回韓国公演を行う。今夜はそれに先立つ一夜かぎりのプレヴュー公演だ。
オープンして間もないART CAFE百舌には、背もたれのない箱形の椅子が整然と並べられていた。床に高低はない。開演直前に鈴木アツトから立ち見客がでていることもあって、舞台をみやすくするために椅子を並べ替えたいと提案があり、客席にいらした俳優の外波山文明さん(ですよね?)の声がけで、最前列に桟敷席、箱形椅子はうしろのお客さんが前の人の頭のあいだから舞台がみえるように少しずつ斜めに並べなおし、いやいやみごとに素敵な客席が出来あがった。
演劇体験のひとつとしておもしろかったし、外波山さんが的確な指示を出され、お客さんもそれをちゃんと理解しててきぱきと行動できたのは幸運であった。うっかりすると、「アクシデント」になって観劇前の気分が損なわれ、せっかくの舞台を楽しめない可能性もある。
制作側には事前にじゅうぶんな配慮をお願いしたい。
3度めの観劇で、ようやく自分の心がしっかりと『青鬼』を受けとめることができた。喜びであり、幸福である。しかし同時にこれまで自分は『青鬼』の何をみていたのだろうと愕然、茫然としている。
劇団印象の舞台でいつも楽しみなのは、温かみのある可愛らしい舞台美術だ。しかし今回は裸舞台に椅子が2脚、後方に白い布が掛けられているだけである。
本作は再演において初演版がほぼ新作といっていいほど改訂されており、3演めにあたる今夜は、その再演版をさらにに練り上げたものである。
自作をもっとよいものしたいという欲求は劇作家として当然のことであろう。しかしそのためには自分が丹精込めて作り上げた劇世界を客観的にとらえ、削ぎおとりたり壊したりする作業が発生する。新しいものを生みだす過程において、失われるものもあるだろう。
再演が必ず初演をしのぐ成果をあげられるとは限らない。作者にとってそうとうなプレッシャーであり、観客も期待と不安がいりまじるのである。
『青鬼』に関して、これらの懸念はすべて杞憂であった。欠かせない存在の龍田知美とべク・ソヌは安定感にとどまらない新鮮味も加わっており、後半ではこれまでの鈴木作品ではファンタジックと認識されていた部分が猟奇性をもって不気味に迫ってくる場面もあり、80分を飽きさせない。脇筋の人物の造形や主軸とのからみにあともうひと工夫必要とは思うが、ぜんたいとして舞台の精度は高まっており、今夜1回かぎりのプレヴュー公演に立ち会えたことが非常に晴れがましく、韓国での第一回公演が楽しみでもあり、それにゆけないことが大変残念である。
タイトルの『青鬼』をもう一度考える。舞台に鬼は登場せず、「あれが鬼のことか」とはっきりわかるところもない。みているあいだは「青鬼」のことは忘れている。しかし見おわって次第にその意味が迫ってくる。これは「理解できる、わかる」とは違うのだ。
心がさむざむとして、生きていくためには何かの命を奪わなければならない悲しみがひたひたと押し寄せて、やりきれなくなるのである。
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