因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

こまつ座+シスカンパニー『ロマンス』

2007-10-06 | 舞台
*井上ひさし作 栗山民也演出 公式サイトはこちら 世田谷パブリックシアター 公演は30日で終了
 観終わってから2週間もたってしまった。ということは観劇からすぐに「書こう!」という気持ちがどうにも掻き立てられなかったということである。うっかりすると書かないまま流しそうであったが、こういう書き方だけでは無責任のように思えて、書いている次第です。チラシの宣伝文には、チェーホフの妹と妻の確執がテーマのように書かれており、妹マリヤを松たか子、妻オリガを大竹しのぶの組み合わせに大いに興味を抱いたのであるが、執筆途中からテーマが変ってしまったらしく、少年期から老年期までのチェーホフを4人の男優(井上芳雄、生瀬勝久、段田安則、木場勝己)が演じ継ぎながら、彼の劇作家としての生涯を描くものとなっていた。

 冒頭の歌から連発される「ボードヴィル」という言葉に対する違和感が、最後まで続いた。歌と踊りのあるドタバタものという認識であったが、パンフレット記載の栗山民也の文章によれば、「スケッチ」という意味もあるそうだ。人間の生活を切り取ってそのままの風景としてみせていく。チェーホフは少年時代に「生涯に1本でいい。うんとおもしろいボードヴィルが書きたい」と志す。医師をしながら劇作を続け、『かもめ』や『三人姉妹』が好評を博しているにも関わらず、ほんとに書きたいものが書けない、舞台上で表現されないことに苦しむ。

 自分はチェーホフ劇の救いのなさや虚しさ、それでも生きていこうとする人物のすがたに、やりきれなさを覚えつつも、結構こういう感じが好きである。シアターガイド10月号『シェイクスピア・ソナタ』の記事で、作・演出の岩松了が「問題が表に出るのが分かりやすいシェイクスピア劇で、分かりにくい方に下降していくのがチェーホフ劇なんです」述べている。そうそう、それが自分は好きなのですよ。6人の出演者はいずれも主役級の大物ぞろい、しかも井上ひさしの新作が初日に無事に開幕したのは実にめでたいことである(しかし普通のことですよね、きつい言い方になりますが)。だが自分には物足りなかった。歌では中盤の松たか子によるマリヤのナンバーがピカ一だが、内容がさほど重要ではないので心に残る歌とは言いかねる。俳優は何役も演じ分けるので、大竹しのぶや生瀬勝久の芸達者ぶりも披露されるが、前者のインチキ老女が床をごろごろころがる動作も、後者がレストランのボーイ長を演じて、カクテルを乗せたお盆がさかさになるところも、戯曲の言葉、台詞のやりとりではなく、いわばちょっとした演技の足し算である。もっと言葉で笑いたい。ところが後半、病身のチェーホフを老トルストイが見舞う場面の論戦では、台詞のやりとりがくどく感じられ、結果、大いに堪能するとはいいがたい観劇となった。

 公演チラシを改めて見直した。井上ひさしを囲んで6人の出演者が微笑んでいる。何と素敵な笑顔だろう。芝居の内容を知らなくても、この笑顔をみただけで「行きたい!」と思ってしまうほどである。自分は芝居をみるとき、楽しそうに笑っているお客さんをみると嬉しくなる。舞台からもらう楽しさと、客席から感じる楽しさと、まるで花束をふたつ渡されたような幸福感に満たされるのだ。チェーホフはどんなボードヴィルを書きたかったのあだろう、自分はどんなお芝居(ボードヴィルに限らず)見たかったのだろう。疑問符の多い、不完全燃焼の夜であった。

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