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講師は英米演劇、とくにハロルド・ピンター研究では日本で第一人者の京都大学名誉教授喜志哲雄さん。1935年生まれというから御年77歳になられるはずだが、足どりはしっかり、声にも張りがあって大変お若くみえます。ちょうど『温室』の上演がおわったあとのステージで、劇中では段田安則演じるルートのかける赤く巨大な椅子にかけてお話が始まった。
ハヤカワ文庫収録の戯曲や『劇作家ハロルド・ピンター』は読んでいるから、喜志先生が話そうとされていることはおよそ予想がつき、じっさいその通りであったが、いやそれにしても戯曲を深く重層的に読み込むと、読む楽しさはもちろん、舞台をみる楽しみもずっと大きくなることを実感した。「ピンターにはいわゆる名台詞はありません」と言われるとおりだ。しかしいっけん何気ない日常会話のようで、登場人物の背負う状況や過去のできごと、目の前のふたりの力関係があぶりだされてくる様相は実に刺激的、ぞくぞくする。
最初に『誕生日のパーティ』を、あいだにリアリズム演劇を代表する作品としてJ.B.プリーストリーの『夜の訪問者』をはさんで、最後に『背信』を読み解く。90分ノンストップである。
『誕生日のパーティ』では、メグとピーティがおそらく毎日のように交わしている無意味なやりとりの不思議を、『背信』においては関係を取り戻そうとするエマと、彼女をはぐらかし、かわそうとしているジェリーとの攻防を、文字通り台詞のひとつひとつ、(間)も含めて諄々と解き明かす。
自分は1993年にデヴィッド・ルヴォー演出による『背信』をみたことがあり、『テレーズ・ラカン』や『エレクトラ』のような衝撃はないが、実はもっとも楽しんだのである。当時はあまりにピンターのことを知らなさすぎたために、それこそ「どうもよくわからない」ととまどうばかりだったけれども、ルヴォーによる作品のなかでもう一度みたいものは何かと問われたら、自分はまっさきに『背信』をあげる。
しかしながら、ひょっとするとピンター自身よりも作品のことを知りつくしていらっしゃるかにもみえる喜志先生が、実際の上演に満足されることがあるのだろうか。今回の『温室』に関しては、「お世辞でも何でもない、よかったと思います」とおっしゃっていたけれど。
そしていまの自分の問題は、実際の舞台をみるよりもピンターの戯曲を読むほうが、もっと言うと喜志先生のピンター解説を読むことが楽しくなってしまっていることだ。本末転倒というか、幸福であると同時に不幸でもあるような?けれどやはり読みつづけ、みつづける以外ないのだろうなぁ。
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