守るべきものを見失いつつあるのが今の日本ではないだろうか。日本を取り戻すことで政権を託された安倍首相も、最近は精彩を欠いている。今こそ毅然とした抵抗勢力がなければ、日本は大変なことになる。現状を打開しなければならないのはその通りだが、過去を全て否定するというのは、ある種のデカダンでしかない。改革をスローガンにすれば全て許されるというのは、昭和初期にもあった。『昭和時代』には収録されていないが、中島健蔵に下記のような文章がある。中島は2・26事件を待望していた当時の国民心理を見逃さなかった。「左翼にもは理論があり、右翼にも理屈があった。しかし、左右両翼とも、彼らの運動が成功したときに、国民の生活がどう変わるのか、その生活の姿については、具体的にそれを想像させるような材料を与えなかった。とにかく変らなければならない」の一辺倒であった。日本人が冷静さを失ってしまったのである。「現状を破壊してしまいさえすれば、あとはよくなるという底ぬけの楽観的な考えが強く、国民も、なにかそんな気持ちに感染して。それを期待するようなふしぎな気のよさを示しはじめた」というのだ。破壊を待望する雰囲気がみなぎっていたのだ。平成の世もそれと似ている。これまでの日本のやり方を全否定すれば、それだけでいいことが待ち構えている。そう信じているのである。それを推進しているのが新自由主義であり、それによって日本が駄目になるのを待望しているのがサヨクである。暴力に訴えるわけではないが、根底から日本をひっくりかえそうというのだから、かえって始末が悪い。このままでは昭和初期の混乱が繰り返されるのではないだろうか。
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