草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

新自由主義の根本にあるのは日本の現状を否定するデカダンだ!

2013年10月26日 | 思想家

 守るべきものを見失いつつあるのが今の日本ではないだろうか。日本を取り戻すことで政権を託された安倍首相も、最近は精彩を欠いている。今こそ毅然とした抵抗勢力がなければ、日本は大変なことになる。現状を打開しなければならないのはその通りだが、過去を全て否定するというのは、ある種のデカダンでしかない。改革をスローガンにすれば全て許されるというのは、昭和初期にもあった。『昭和時代』には収録されていないが、中島健蔵に下記のような文章がある。中島は2・26事件を待望していた当時の国民心理を見逃さなかった。「左翼にもは理論があり、右翼にも理屈があった。しかし、左右両翼とも、彼らの運動が成功したときに、国民の生活がどう変わるのか、その生活の姿については、具体的にそれを想像させるような材料を与えなかった。とにかく変らなければならない」の一辺倒であった。日本人が冷静さを失ってしまったのである。「現状を破壊してしまいさえすれば、あとはよくなるという底ぬけの楽観的な考えが強く、国民も、なにかそんな気持ちに感染して。それを期待するようなふしぎな気のよさを示しはじめた」というのだ。破壊を待望する雰囲気がみなぎっていたのだ。平成の世もそれと似ている。これまでの日本のやり方を全否定すれば、それだけでいいことが待ち構えている。そう信じているのである。それを推進しているのが新自由主義であり、それによって日本が駄目になるのを待望しているのがサヨクである。暴力に訴えるわけではないが、根底から日本をひっくりかえそうというのだから、かえって始末が悪い。このままでは昭和初期の混乱が繰り返されるのではないだろうか。

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NHKの偏向をやめさせるためにも長谷川三千子氏を経営委員に!

2013年10月26日 | マスコミ評

 NHKの目にあまる偏向報道に対しては、国民の間でも批判が高まっている。会長の人事にも影響力がある経営委員会の新任の委員に、安倍首相に近いメンバーの名前が挙がっている。これに対して毎日新聞が嫌がらせの記事を書いた。「NHKと政治との距離が改めて浮き彫りになった」とNHKを擁護するのに必死である。しかし、現在の松本正之会長ですら、尖閣諸島をめぐる報道に釘を刺す事態になっており、手が付けられなくなっている。あまりにも中共や韓国に媚びてばかりいる。いかにまともな人材が経営委員になろうとも、NHKの職員の意識が変わらなければ、報道機関としてのNHKの刷新は無理だろう。それでも、その前段としては大きな意味がある。安倍首相は哲学者の長谷川三千子氏らを念頭に置いているといわれる。長谷川氏は勇気をもって正論を吐く哲学者である。『新世紀の靖国神社』に収録された小堀桂一郎との対談のなかで、長谷川氏は「東京裁判においては、平和に対する罪、人道に対する罪というものを、戦争が終わってからあらためて新しく罪として作り(事後法)、さらに敗戦国の人間だけが対象とされた。この二つをとっただけで、この東京裁判というものが、およそ公正な裁判などというものではなく、その判決による刑の執行は、戦闘行為の中の非常に陰湿な殺人であって、この裁判自体が国際法違反といってもいいような犯罪だったのだという、その認識をまず持ってもらわなければ何も始まらない」と述べたのだった。そうした主張をできる識者が、NHKに物を申してもらわなくては。

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建設会社を悪者にしたのは新自由主義者とサヨクだ!

2013年10月25日 | 経済

 建設会社に頑張ってもらわなければならないのに、その足を引っ張ったのは新自由主義者であり、サヨクであった。岩波書店から保母武彦が出した『公共事業はどう変えるか』(2001年発行)というのを手にとって、ビックリしてしまった。財政赤字を理由にして、新自由主義者同様に大幅な公共事業の削減を主張していたからだ。国土強靭化をしなければ、日本人の生命と財産は守れないにもかかわらず、そこは抜け落ちている。これでは新自由主義には対抗できない。そして、保母が処方箋として示したのが、大幅に削減するにあたって10年程度の期間を設定することと、建設業の人材を違う部門に振り向けることであった。小泉構造改革でも農業などへの新規参入が推奨されたが、それと考え方は一緒だ。保母は「ムダで環境破壊型の公共事業から手を引いて、社会的な有用性の高い公共事業に就くことになり、雇用の急減は緩和される」と書いたのである。そこにプラス分権化とか言葉を付け加えてはいるが、新自由主義者の後押しをしただけだ。そして、新自由主義のごとき夢を振りまいた。「21世紀に必要性を増す安全な食料の国内生産、バイオマス・エネルギーの生産、コミュニティ・ビジネス、文化分野など、地域の自然条件などを巧みに使い、情報技術など新科学技術を積極的に取り入れた、若者にも魅力のある就労の場がつくられていくことが期待される」。日本のライフラインがそれこそ、何百年も耐用年数があるのであれば、それもいいだろう。しかし、日本国で日本人が生きて行くためには、国土強靭化をしなければ、生活をする場すら確保できないのだ。それを念頭に置かない経済合理性が、サヨクにまで浸透していたのである。どっちもどっちである。

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TPPなどの外圧に抗するには攘夷の国民運動しかない!

2013年10月25日 | 政局

 TPPのような外圧に抗するためには、攘夷の国民運動しかないのに、右も左もそのエネルギーが爆発しないのが今の日本の悲劇なのである。明確に反対を表明しているのは、自民党の3割程度と民主党のほんの一部、共産党と社会民主党などだが、いずれも大きな力になっていない。自民党内では政権を維持するために、反対派が揺さぶりをかけようとしても、腰が据わっていない。民主党は大企業の労働組合であり、政権を担当していたときに前のめりになっていたために、争点化するのが難しい。本来であれば、国会議事堂を十重二十重にデモ隊が取り囲まなくてはならないのに、多くの国民も勝負があったと思っているのだろう。しかし、これほど不幸なことはないのである。戦後の日本外交は、今の安倍内閣のようにアメリカと対等な交渉をやってきたわけではない。アメリカの核の傘に入って、軍事的に支配され続けてきた日本は、下手に出ざるを得なかった。そこで効力を発揮したのが、日本国内でのラディカルな反対運動であった。日米安保条約をめぐってや、沖縄返還などでは、日本の反体制のエネルギーがアメリカの譲歩を引き出したのである。イデオロギー的には私はそれに与しないが、政治力学的には、日本政府は体制の危機を訴えることで、アメリカを揺さぶる材料になったのである。攘夷のパトスが不甲斐ない日本外交の背中を押したのだ。もはや保守は二つに分裂すべきだ。アメリカとの友好を第一とする勢力と、そうではなくて国家の主権を取り戻そうとする勢力である。アメリカの圧力に屈しないためには、その二つが激突すべきなのである、このままではあまりにも日本が惨めである。

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農業を聖域として守り抜く覚悟を安倍首相は示すべきだ!

2013年10月24日 | 経済

 自民党が自民党と闘っている。今日の参議院予算委員会の質疑は、山田としお参議院議員が安倍首相や安倍内閣の担当閣僚に必死に食い下がったが、もはやTPPに抵抗できるのは自民党内の一部しか存在しない。日本維新の会やみんなの党は新自由主義にぶれている。頼りにならないのだから、やっぱり自民党内で巻き返す以外にない。TPP交渉がどうなっているかについては、まったく明らかにされないわけだから、これではたまったものではない。米などの品目は聖域として扱われると思っていたらば、米などのタリフラインがマスコミの話題になっており、日本が譲歩を迫られているのは確かなようだ。オバマ大統領との間で確認したはずのセンシティビティに関しては、安倍首相はあくまでも日本の立場を主張しただけであり、「我が国のみならず各国とも困難な問題を抱えているわけでありまして、各国ともセンシティビティに配慮しつつ包括的に高い水準の達成に向けて」ということを強調した。そして、安倍首相は「全体のバランスに配慮しながら」と述べるにとどまった。その言葉から伝わってくるのは、日本が追いつめられているということだ。自民党の多くの国会議員は、山田参議院議員と同じ考えを持っていると信じたい。そこで重要になってくるのが、政府と党とで意見の一致を図ることだろう。山田参議院議員も自らのブログで書いている通りに、このまま押し切られてしまえば、日本の国益は間違いなくそこなわれる。それで本当にいいのだろうか。二度の国政選挙で安倍自民党を勝たせた国民の声を無視すれば、いつかそれは天罰となって返ってくるだろう。

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国土強靭化を実現するためにも建設業に光を!

2013年10月24日 | 経済

 今の経済を回復させる特効薬は建設会社である。それもやみくもに仕事を出せばいいというのではない。東日本大震災からの復興や首都圏を襲う大地震に備えて、国土強靭化を進める目標があるから、なおさら弾みがつくのである。ここにきて建設会社に賃金を上げる動きも出てきた。民主党政権の「コンクリートから人へ」という政策もあって、一時は忘れられていた建設業が、ようやく息を吹き返しつつあるのだ。そこに7年後の東京オリンピック開催である。それらの目標をクリアすることで、国民は新しい時代の到来を予感するのではないだろうか。今も続いている不況は供給過剰で、需要がなかったことに起因している。意味のない公共事業ではなく、すぐに手をつけなければならないわけだから、そこに日本人は全力を投球すればいいのだ。汗をかいて働くようになれば、世の中全体も活気づいてくるのである。とくに建設業は地方においては有力な雇用の場であり、それが確保されることになれば、国土の均衡ある発展にも寄与する。2011年の日本の建設業の就業者数は497万人で、ピーク時の1997年の685万から比べると188万人も減少している。政治の間違った舵取りによって、多くの人が失業を強いられたのである。さらに、将来性がないということで、就業者の高齢化も深刻になっている。半数以上が45歳以上である。やるべきことがあっても、それを消化できないのが現状なのである。人材を確保するためにも、賃金を上げるのが先である。安倍首相は大企業の直談判するよりも、現在よりも10%ほど工事単価を高めにするように指導すればいいのである。そうすれば景気回復を国民も地方も実感することになるのだから。

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侵略する国あれば西郷の「国を以って斃るの精神」で対処すべきだ!

2013年10月23日 | 思想家

 人間どうあるべきかは、手本をどこに求めるかだろう。影山正治の『大西郷の精神』ほど、私にとって参考になる書物はない。若い人にはぜひ手にとってもらうたいと思う。日本人の傑物とはどんあ人物であったかを知ることができるからだ。知識のあるなしではなく、国を動かすのは腹が据わっているかどうかであり、それを教えてくれたのが西郷隆盛なのである。会津人である私のような者であっても、西郷は仰がれるべき大木なのである。西郷は学者ではなかったから、その面においては吉田松陰や藤田東湖には及ばない。しかし、影山が述べているように、言行一致であることが立派なのである。「自らの学問を実践した点においては第一人者である行の人であったというべきであろう。従って遺訓に対する場合、これを頭だけで理解しようとしても無駄である。心眼で見、魂で読まなければならぬ。片々たる字句の解釈などは、さして重要ではない。何回も何回も読んで居るうちに、おのずから我が魂に触れてくるものがある。それをつかめばよい。それを実際の生活上に生かして行けばよい。即ち大西郷が、わが心中に生きて来ればよいのだ」。西郷の遺訓のなかで、とりわけ私は好きなのは、次の言葉である。「正道を踏み国を以って斃るの精神無くば、外交交際は全かる可からず。彼の強大に畏縮し円滑を主として、曲げて彼の意に順従する時は、軽侮を招き、好親却て破れ、終に彼の制を受けるに至らん」。謀略によるのではなく、王道の精神に貫かれた外交を堂々と主張すればいいのである。それを無視して侵略してくる外国に対しては、必死の覚悟で戦うしかないのである。西郷のその精神を、今の日本人は再認識すべきだろう。

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新自由主義は金持ち優遇の経済政策だ!

2013年10月23日 | 経済

  今の経済学の論争は需要重視か、それとも供給重視の違いかだといわれる。そもそも景気をよくするための処方箋が異なるのだ。このことについて上条勇が『 グローバリズムの幻影』のなかで分かりやすく解説している。「ケインズ経済学は、需要重視の経済学であるという特徴づけがなされる。ケインズ主義のもとで行われてきた累進課税政策は、消費性向の高い低所得層へ所得を再分配することを通して、消費を拡大することを意味した。また、減税政策は消費拡大政策を意味した」のである。それに対して新自由主義は供給重視なのである。投資を活発にし、経済を活性化するためには、民間活力が大事だとして、金持ちを優遇しようというのだ。減税をする場合でも、貧乏人は対象外なのである。それよりも「金持ちに対して減税するならば、貯蓄を増やし、やる気を出して投資を活発化していく。こうして、経済が発展し、その結果として財政収入も増える。減税するとかえって税収が増える」という考え方である。新自由主義が批判されるのは、そうせいなのである。規制緩和もその流れであり、金がある強者に活躍の場をどんどん与えようというのだ。これでは経済的弱者はたまったものではない。負け組は徹底的においつめられてしまうのである。レーガン政権以来アメリカは供給重視の経済政策を進めてきた。その結果が格差社会の拡大なのである。日本も小泉政権時代にそれを実行してとんでもない目にあった。その過ちを安倍政権は繰り返すべきではないだろう。そんなことをすれば、喜ぶのは日本の国柄を破壊しようとする勢力である。

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自民党昔に戻る勇気なし 6句

2013年10月22日 | 川柳

自民党昔に戻る勇気なし

保守よりも自由がまさる保守政党

自民党どの顔みても安倍頼み

金もうけ恨まれてもいい利を先に

保守のくせ見栄はらんとす悪い癖

改革は国民無視のグローバル

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保田輿重郎が死守せんとした「國がら」を破壊するのが新自由主義だ!

2013年10月22日 | 思想家

 なぜ私たち日本人が日本人であり続けられたかというと、それは農業を生業(なりわい)としてきたからだ。米作りを中心とした生活があってこそ日本人なのである。新自由主義によって米作りが成立しなくなれば、それは根本から日本を否定することになるだろう。保田輿重郎は『日本の美とこころ』に収録された「皇大神宮の祭祀」のなかで、祭りの祝詞は「そのさきにことよさしがあり、それにかくの如く現物をそろへておこたえ申上げますといふ意味をもつている」ことに注目した。ただし、「ことよさしは形では托されあづかつたといふことでは」あっても、現代風の契約とは違って「成果に対する責任も今に比して大らかである」のが特徴であった。そして、保田は天皇(スメラミコト)と米作りが一体であることを強調した。「皇孫尊(スメミマノミコト)にことよさされた稲種によつて、地上に於ても、高天原でなされたまゝの生活が行はれるのである。さらにこれが天皇(スメラミコト)ら民草にことよさされて、われわれの生活が高天原の神々と同じ生活として永遠に営まれる。こゝで皇孫尊と天皇は御一體であり、いつの代の天皇も、つねに皇孫尊である。またこの天皇と人民との関係が、わが國がらの成立つてゐる原本ともいふべきである」。日本浪漫派の保田にとっては、それが「皇孫降臨の時、天上の稲種をことよさゝれたのが限りなく尊い、天照らします大神であつた」との日本民族の神話とも結び付くのである。日本を死守するとは、まさしくそれを死守することにほかならない。市場原理絶対の新自由主義が破壊しようとしているのは、保田の言葉を借りるならば、「米作りといふ生活のあからさまな外観」としての万世一系、天壤無窮の「わが國がら」なのである。

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