草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

安倍首相は長州人特有の政治家タイプなのかそれとも弱虫か!

2013年10月20日 | 政局

 安倍首相を見ていて、会津人の私はやっぱり長州人なんだと思う。それは嫌味で言っているのではない。政治家の資質として一定程度の評価をしているのである。幕末期の長州人は筋を通したから、そこは批判すべきではないが、祖父岸信介と共通性があるからだ。昭和30年9月20日付の日本経済新聞で御手洗辰雄は岸信介を評して「長州人は目先が早く、利害の打算が鋭敏で、大義親を滅するよりも、利害によって親を滅することが特徴である。これは長州の先輩を見れば明らかで、現存する長州の有名人などもその例外ではない。そして共通して権力欲が強い。岸はそうした長州気質の見本である」と書いた。岩川隆の『巨魁岸信介研究』でそれを取り上げていたので、私もついつい納得してしまった。岸やその弟の佐藤栄作を以外にも、長州出身の首相は大物ぞろいである。伊藤博文、山県有朋、桂太郎、寺内正毅、田中義一を挙げることができる。伊藤博文に代表されるように、いずれも柔軟な政治感覚がある。伊藤博文は若い頃はテロリストであっても、初代の首相となって藩閥政府に身を置いた。それでいながら一転して議会政治を確立するために、初代の立憲政友会の総裁となったのである。自らの立場を固定させないのである。安倍首相にもそれと同じ政治感覚があれば、それはそれでいいだろう。しかし、安倍首相はそこまで腹が据わっているのだろうか。それを安倍首相自身しか分からないことだ。私が安倍首相にまだ未練があるのは、伊藤博文がそうであったように、それが国家国民のためになればという期待だ。これまでのところは状況に押し流されているようだが、腹が据わっていれば見方は別になるのである。

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紙媒体より圧倒的に情報量が多いネットを目の敵にする新聞!

2013年10月20日 | マスコミ評

 消費増税になっても新聞だけは例外にして欲しい。その点では朝日、毎日と読売、産経も一緒である。ネット社会になって、スマホを待つようになって読書する時間が短くなった。そう嘆いて見せるのも、自分たちを正当化したいからだろう。読売は去る9月28日、29日に実施した読書に関する世論調査の結果を発表したが、そこにあるのは新聞の奢りである。活字は紙媒体に印刷されていなくてはならないとの固定観念は、それこそ従来の価値観を踏襲しているからにほかならない。時代は急激に変わっているのである。スマホを使う人間が活字離れをしているかというと、それはまったく逆だ。情報としての活字が目にする機会は、大幅に増えたのではないだろうか。それと同時に、無駄な暗記をする必要もなくなった。必要に応じて検索が可能になったからだ。それも画期的なことである。さらに、そこにプラスして動画の配信が可能になった。活字の情報だけではなく、動画の情報がプラスされたことで、人間は新たなステージに突入しつつあるのだ。しかも、発信や受信にとどまらずに、能力があれば、そうした情報を整理整頓をして、新たな価値を創造することもできる。それもたった一人の力で。活字媒体にこだわるのは、新聞が守旧派に属しているからであり、自分たちの既得権益を必死に守ろうとしているのだ。ミッシェル・フーコーも指摘しているが、人間のもっとも根源的な欲望は、知的な向上心である。それを満たすための地平を拓いてくれたネットは、人間を愚民化するのではなく、賢くなるツールとして私たちは利用できるのである。

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