安倍首相を見ていて、会津人の私はやっぱり長州人なんだと思う。それは嫌味で言っているのではない。政治家の資質として一定程度の評価をしているのである。幕末期の長州人は筋を通したから、そこは批判すべきではないが、祖父岸信介と共通性があるからだ。昭和30年9月20日付の日本経済新聞で御手洗辰雄は岸信介を評して「長州人は目先が早く、利害の打算が鋭敏で、大義親を滅するよりも、利害によって親を滅することが特徴である。これは長州の先輩を見れば明らかで、現存する長州の有名人などもその例外ではない。そして共通して権力欲が強い。岸はそうした長州気質の見本である」と書いた。岩川隆の『巨魁岸信介研究』でそれを取り上げていたので、私もついつい納得してしまった。岸やその弟の佐藤栄作を以外にも、長州出身の首相は大物ぞろいである。伊藤博文、山県有朋、桂太郎、寺内正毅、田中義一を挙げることができる。伊藤博文に代表されるように、いずれも柔軟な政治感覚がある。伊藤博文は若い頃はテロリストであっても、初代の首相となって藩閥政府に身を置いた。それでいながら一転して議会政治を確立するために、初代の立憲政友会の総裁となったのである。自らの立場を固定させないのである。安倍首相にもそれと同じ政治感覚があれば、それはそれでいいだろう。しかし、安倍首相はそこまで腹が据わっているのだろうか。それを安倍首相自身しか分からないことだ。私が安倍首相にまだ未練があるのは、伊藤博文がそうであったように、それが国家国民のためになればという期待だ。これまでのところは状況に押し流されているようだが、腹が据わっていれば見方は別になるのである。
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