建設会社に頑張ってもらわなければならないのに、その足を引っ張ったのは新自由主義者であり、サヨクであった。岩波書店から保母武彦が出した『公共事業はどう変えるか』(2001年発行)というのを手にとって、ビックリしてしまった。財政赤字を理由にして、新自由主義者同様に大幅な公共事業の削減を主張していたからだ。国土強靭化をしなければ、日本人の生命と財産は守れないにもかかわらず、そこは抜け落ちている。これでは新自由主義には対抗できない。そして、保母が処方箋として示したのが、大幅に削減するにあたって10年程度の期間を設定することと、建設業の人材を違う部門に振り向けることであった。小泉構造改革でも農業などへの新規参入が推奨されたが、それと考え方は一緒だ。保母は「ムダで環境破壊型の公共事業から手を引いて、社会的な有用性の高い公共事業に就くことになり、雇用の急減は緩和される」と書いたのである。そこにプラス分権化とか言葉を付け加えてはいるが、新自由主義者の後押しをしただけだ。そして、新自由主義のごとき夢を振りまいた。「21世紀に必要性を増す安全な食料の国内生産、バイオマス・エネルギーの生産、コミュニティ・ビジネス、文化分野など、地域の自然条件などを巧みに使い、情報技術など新科学技術を積極的に取り入れた、若者にも魅力のある就労の場がつくられていくことが期待される」。日本のライフラインがそれこそ、何百年も耐用年数があるのであれば、それもいいだろう。しかし、日本国で日本人が生きて行くためには、国土強靭化をしなければ、生活をする場すら確保できないのだ。それを念頭に置かない経済合理性が、サヨクにまで浸透していたのである。どっちもどっちである。
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