政党レベルではなく、国民運動のレベルで強固な保守勢力が登場しなくてはならない。幕末期に脱藩して、尊皇攘夷の運動に立ちあがったように、日本国民のナショナリズムによって、政治を動かさなくてはならないのである。そのためには、当面は自民党を支持したとしても、そこにとどまるのではなく、将来的には新党を目指すべきだろう。しかし、まずは国民運動なのである。尊皇攘夷の志士たちが、一時は跳ね上がったとしても、後の政治的な人間に脱皮したように、今は過度期ではないかと思う。「行動する保守」のなかから、まともな政治家が誕生することを期待するのは、私だけだろうか。日本を貶める勢力に対しての戦い方について学習を重ねているわけだから、それが大きな渦となって政党を結成するようになればいいのだ。自民党の補完勢力になるのではなく、一貫して旗印は攘夷にすべきだろう。戦後の日本人は怒ることを忘れてしまった。外交的にも、土下座をすることで許してもらおうとした。悪いことをしたかどうかの検証もなされずに、戦争に負けたということで、自分たちの大義を引っ込めてしまった。それは野党ばかりではなく、自民党も一緒である。そうした国民運動においては、日本人の歴史を取り戻すことを第一に掲げなくてはならない。300万人もの尊い犠牲を出しながらも、清水の舞台から飛び降りる覚悟で始めた大東亜戦争は、悠久の日本を守るための戦いでもあったわけだから。
←保守の国民運動が大切だと思う方はクリックを