草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

今起きているのは保守における「擬制の終焉」だ!

2013年10月04日 | 思想家

 私は現時点では安倍自民党を支持するが、それを絶対視するつもりはない。いかなる政治党派や個人であろうとも、それを乗り越えて行くのが日本の大衆であるからだ。今私が吉本隆明の『擬制の終焉』という言葉にこだわるのは、それを持ち出した方が説明がしやすいためだ。吉本は政治闘争における大衆のエネルギーを高く評価した。「旗じるしとしては、あるいは共同や革共全国委のもとに、あるいは社共や国民共闘会議または市民主義イデオローグのもとに大衆行動に参加した。しかし、かれらがこれらの旗じるしにすこぶる満足して歩いている人形だとかんがえたとしたら、お目出たいといわなければならない。イデオローグは、真理の競売を大衆行動によってたしかめようとする。大衆はさまざまなイデオロギーの萌芽を、萌芽のまま行動によって語る。安保闘争の過程でおこったさまざまな悲喜劇は、すべて、指導的イデオローグと大衆とをはっきり区別してとりあげなければならないことをおしえた」。それはそっくり今の保守にあてはまるのではないだろうか。安倍晋三という政治家を押し上げ、自民党総裁にし、さらには総理大臣までしたのは、自民党が主導したのではない。もった奥深いところで、大衆のエネルギーが爆発したのである。その方向性はナショナリズムとなって噴出してきている。それを見誤れば自民党はとんでもないしっぺ返しを受けるだろう。消費増税、TPP交渉参加に安易に踏み切ったことは、その大衆のエネルギーを過小評価したからではないか。

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ナショナリズムの大切さ説いた三島由紀夫!

2013年10月04日 | 思想家

 三島由紀夫は予言者であった。平成の世の日本をすでに予測していた。日本が国家として再生するには、ナショナリズムを抜きには語れないことを指摘していたからだ。『若きサムライのために』において三島は、「ナショナリズムというのは民族の生の衝動であり、それと背中合わせに死の衝動でもあるだろう。この死の衝動の方をうまく担保するものを政治が与えるかどうか、それが政治の一番の問題になると思うね」と述べていた。いうまでもなくそれは国防の問題である。国を護るべき軍隊が栄誉の大権を与えられず、アメリカの傭兵と化して、侵略されても反撃することすらできない。このままでは保守派は、ナショナリズムを手放さざるを得ない。それを三島は危惧していたのである。「自衛隊の最終指揮権がどこにあるのか」と問いかけに、今もなお政治はまともな答えていない。総理大臣にあるのか、それともアメリカかという疑問が付いて回るからだ。60年安保騒動のときにしても、「岸首相の出動要請に自衛隊はオイソレと乗らなかったんだよ」との見方も間違ってはいない。しかし、国民に根ざした国防軍の創設以前に、日本はアメリカによって、またもや弱体化されようとしている。それに待ったをかけようとした安倍首相も、第二次安倍内閣をスタートさせて一年もしないうちに、暗礁に乗り上げてしまった。それが消費増税であり、TPP交渉への参加であった。もう一度私たちは、三島の言葉に耳を傾けるべきだろう。

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