私は現時点では安倍自民党を支持するが、それを絶対視するつもりはない。いかなる政治党派や個人であろうとも、それを乗り越えて行くのが日本の大衆であるからだ。今私が吉本隆明の『擬制の終焉』という言葉にこだわるのは、それを持ち出した方が説明がしやすいためだ。吉本は政治闘争における大衆のエネルギーを高く評価した。「旗じるしとしては、あるいは共同や革共全国委のもとに、あるいは社共や国民共闘会議または市民主義イデオローグのもとに大衆行動に参加した。しかし、かれらがこれらの旗じるしにすこぶる満足して歩いている人形だとかんがえたとしたら、お目出たいといわなければならない。イデオローグは、真理の競売を大衆行動によってたしかめようとする。大衆はさまざまなイデオロギーの萌芽を、萌芽のまま行動によって語る。安保闘争の過程でおこったさまざまな悲喜劇は、すべて、指導的イデオローグと大衆とをはっきり区別してとりあげなければならないことをおしえた」。それはそっくり今の保守にあてはまるのではないだろうか。安倍晋三という政治家を押し上げ、自民党総裁にし、さらには総理大臣までしたのは、自民党が主導したのではない。もった奥深いところで、大衆のエネルギーが爆発したのである。その方向性はナショナリズムとなって噴出してきている。それを見誤れば自民党はとんでもないしっぺ返しを受けるだろう。消費増税、TPP交渉参加に安易に踏み切ったことは、その大衆のエネルギーを過小評価したからではないか。
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