ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

昭和30年代の墓参り-西垂水の墓地

2017年03月28日 05時22分11秒 | Weblog
 叔父が亡くなり、古いアルバム帳をめくっていると、私が小学生の頃(昭和30年代後半)の墓参りの時の写真がありました。そこには叔父や母、弟の姿が写っており、父が撮ったものでしょう。墓地は社町西垂水(現加東市西垂水)で、今はお堂(薬師堂)も墓地も改修されています。私の家の墓地はその後、社に移しているので、西垂水にお参りすることはなくなりました。
 写真はお堂から北西の方角に向けて撮影したもので、墓の向こうには田圃、そして加古川の向岸の河高の薮が見えています。西垂水は、元は垂水という名でしたが、明治の初め、東条川沿いの中東条村の垂水と区別するため、中東条村の垂水を東垂水、そして加古川沿いの垂水が西垂水とよばれるようになったようです。垂水とは泉の湧くところという由来で泉の古い言い方とされています。
 私の祖父が大正9年に西垂水から社に移り住んだという記録があります。また、お堂の改修時、棟板には曾祖父の藤本百之助の名前が書いてあったと地区の方から教えていただきました。
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