社区事務所の軍事関係往復文書綴(昭和12年4月~14年2月)の中に昭和12年7月7日に発生した蘆溝橋事件に端を発した北支事変、のち拡大して日支事変と呼ばれる衝突に関する文書が綴じられています。その中に、活字で印刷された「日支事変ニ関スル政府ノ声明」と題された一枚のビラが綴じられています。相次ぐ中国側による排日侮日行為、日本の正当なる権益の侵害等に隠忍自重していた日本でしたが、蘆溝橋事件は明らかに中国側の発砲によるものであり、その後の攻撃で死傷者も出て遂に日本軍の出動となったという経緯が説明されています。政府は北支における治安維持、日本の正当なる権益を守るが、事変の不拡大という基本方針であるということも説明しています。
日支事変ニ関スル政府ノ声明
相踵ク支那側ノ侮日行為ニ対シ、支那駐屯軍ハ隠忍静観中ノ處、従来我ト提携シテ北支ノ治安ニ任ジアリシ第二十九軍ノ七月七日夜半、蘆溝橋附近ニ於ケル不法射撃ニ端ヲ発シ該軍ト衝突ノ巳ムナキニ至レリ、為ニ平津方面ノ情勢逼迫シ我在留民ハ正ニ危殆ニ瀕スルニ至リシモ、我ハ和平解決ノ望ヲ棄テス事件不拡大ノ方針ニ基キ局地的解決ニ努力シ一旦第二十九軍側ニ於テ和平的解決ヲ承諾シタルニ不拘、突如七月十日夜ニ至リ彼ハ不法ニモ更ニ我ヲ攻撃シ、再ビ我軍ニ相当ノ死傷ヲ生ズルニ至ラシメ、而モ頻リニ第一線ノ兵力ヲ増加シ更ニ西苑ノ部隊ヲ南進セシメ、中央軍ニ出動ヲ銘スル等武力的準備ヲ進ムルト共ニ平和的交渉ニ応スルノ誠意ナク終ニ北平ニ於ケル交渉ヲ全面的ニ拒否スルニ至レリ
以上ノ事実ニ鑑ミ今次事件ハ全ク支那側ノ計画的武力抗日ナルコト最早疑ノ余地ナシ
思フニ、北支治安ノ維持ガ、帝国及び満州国ニトリ緊急ノ事タルハ茲ニ贅言ヲ要セサル處ニシテ支那側カ不法行為ハ勿論、排日侮日行為ニ対スル謝罪ヲ為シ及今後斯カル行為ナカラシムル為メ適当ナル保障等ヲナスコトハ東亜ノ平和維持上極メテ緊要ナリ
依テ政府ハ本日ノ閣議ニ於テ重大決意ヲ為シ北支派兵ニ関シ政府トシテ執ルヘキ所要ノ措置ヲナス事ニ決セリ
然レトモ東亜平和ノ維持ハ帝国ノ常ニ顧念スル所ナルヲ以テ政府ハ今後共局面不拡大ノ為平和的折衝ノ望ヲ捨テス、支那側ノ速ナル反省ニヨリテ辞退ノ円満ナル解決ヲ希望ス、又列国権益ノ保全ニ就テハ、固ヨリ十分之ヲ考慮セントスルモノナリ
日支事変ニ関スル政府ノ声明
相踵ク支那側ノ侮日行為ニ対シ、支那駐屯軍ハ隠忍静観中ノ處、従来我ト提携シテ北支ノ治安ニ任ジアリシ第二十九軍ノ七月七日夜半、蘆溝橋附近ニ於ケル不法射撃ニ端ヲ発シ該軍ト衝突ノ巳ムナキニ至レリ、為ニ平津方面ノ情勢逼迫シ我在留民ハ正ニ危殆ニ瀕スルニ至リシモ、我ハ和平解決ノ望ヲ棄テス事件不拡大ノ方針ニ基キ局地的解決ニ努力シ一旦第二十九軍側ニ於テ和平的解決ヲ承諾シタルニ不拘、突如七月十日夜ニ至リ彼ハ不法ニモ更ニ我ヲ攻撃シ、再ビ我軍ニ相当ノ死傷ヲ生ズルニ至ラシメ、而モ頻リニ第一線ノ兵力ヲ増加シ更ニ西苑ノ部隊ヲ南進セシメ、中央軍ニ出動ヲ銘スル等武力的準備ヲ進ムルト共ニ平和的交渉ニ応スルノ誠意ナク終ニ北平ニ於ケル交渉ヲ全面的ニ拒否スルニ至レリ
以上ノ事実ニ鑑ミ今次事件ハ全ク支那側ノ計画的武力抗日ナルコト最早疑ノ余地ナシ
思フニ、北支治安ノ維持ガ、帝国及び満州国ニトリ緊急ノ事タルハ茲ニ贅言ヲ要セサル處ニシテ支那側カ不法行為ハ勿論、排日侮日行為ニ対スル謝罪ヲ為シ及今後斯カル行為ナカラシムル為メ適当ナル保障等ヲナスコトハ東亜ノ平和維持上極メテ緊要ナリ
依テ政府ハ本日ノ閣議ニ於テ重大決意ヲ為シ北支派兵ニ関シ政府トシテ執ルヘキ所要ノ措置ヲナス事ニ決セリ
然レトモ東亜平和ノ維持ハ帝国ノ常ニ顧念スル所ナルヲ以テ政府ハ今後共局面不拡大ノ為平和的折衝ノ望ヲ捨テス、支那側ノ速ナル反省ニヨリテ辞退ノ円満ナル解決ヲ希望ス、又列国権益ノ保全ニ就テハ、固ヨリ十分之ヲ考慮セントスルモノナリ