ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

昭和12年-遺骨凱旋の出迎え図

2012年11月22日 05時34分06秒 | Weblog
 昭和12年(1937)12月2日、郷土社町山国から北支方面に出動し、戦死された兵の遺骨凱旋に際して、福田橋から社を通過、山国までの経路に地元の各団体、町民が整列して出迎えを行っています。
 その通知に出迎え図が添付されています。姫路から自動車で福田橋西詰まで帰り、ここで下車、あとは出迎えの人が並ぶ区間は徒歩でということになっています。経路は、貝原、鳥居、社(三階経由)、山国へとなっています。
 沿道には、在郷軍人階、消防組、青年団、涌羅野義塾生徒、国防婦人会、県立社高等女学校生徒、有隣家政女学校生徒、女子青年団、青年学校女子生徒、小学校生徒等が整列して出迎えることになっています。
 平成24年12月2日には国道372号の河高野村バイパスが開通し、福田橋のすぐ下手に新しく架けられた加東大橋の渡り初めが行われます。75年前のちょどこの日、郷土兵士が無言の遺骨凱旋をした、という歴史を私たちはもっているということも忘れずにいたいと思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする