ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

明治40年建立の忠魂碑-高岡地区

2010年05月14日 05時13分47秒 | Weblog
 過日、ある会合の場で、加東市高岡にある忠魂碑のことが話題にのぼり、滝野工業団地から高岡に抜ける道路の東の一段高くなっている所にある墓地のさらに最も高い場所に忠魂碑があることを教えていただいた。地区では丁寧に守っておられるとの由で、市内の忠魂碑を訪ねている私にとってはぜひ一度お参りしなければという思いにかられました。
 さっそく、時間をつくって車を走らせ、教えてもらった通りに走ったのですが、一度は見過ごして通り過ぎてしまいました。Uターンして墓地の近くに車を止めて忠魂碑を探すと、確かに墓地の一番高くなっているところに立派な石碑が建てられているのが目に止まりました。
 墓石の間を歩いてその下までたどり着くと、階段の下から見上げる位置に大きな石碑が立っています。階段を上ってみると、「忠魂」の文字がはっきりと目に飛び込んできました。忠魂碑です。石碑には、海軍1、陸軍8計9人の英霊の戒名が刻まれていました。
 側面には「明治四十年四月建設」の文字が読み取れます。石碑の裏側には、9柱の郷土出身戦病没兵士の履歴が簡潔に記されています。生年は明治13、4、5、6年あたりで、没年が明治37年が多く、澳門(マカオ)や旅順などの大陸の地名が出てきます。「旅順港強行・・・」もあり、日露戦争の旅順港封鎖作戦で戦死されたのか、などと思ってしまいました。9柱の英霊の短い生涯を石に刻み、その偉勲を後世に伝えているのがこの碑であるわけです。碑の立っている場から見える村の景色は時代とともに変化してきているでしょうが、英霊の御魂は郷土を見守るようにここに静かに生き続けているのを感じました。
 
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