ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

昭和12年-青年学校生徒の軍事教練査閲③

2009年03月09日 05時33分09秒 | Weblog
 昨日に続いて、昭和12年(1937)の社青年学校生徒の教練査閲の内容を紹介します。各個教練(30分)から部隊教練(15分)への部分ですが、着眼点の欄には正確さ、正否といった文言が並び、行進や停止、銃の扱いなどが正確に出来ているかどうかの視点が示されています。姫路聯隊区司令官奥村大佐直々の査閲を受けるということは今の私たちの想像を超える緊張感だったろうと思います。きっとこの日のためにきびしい訓練が続けられてきたのでしょう。


○各個教練(制式・戦闘)
 ※つづき
・速歩行進間ノ動作 後向 右(左)向・・・転回方向ノ正確 節度ノ保持
・不動ノ姿勢・・・銃ノ保持
・銃ノ操作 担銃 立銃 捧ゲ銃・・・節度ノ保持
・停止間ノ動作 右(左)向 後向 折敷 伏セ・・・転回方向ノ正確 銃ノ操作 捧ゲ銃ノ運行ニ注意
・射撃姿勢 立撃 膝撃 伏撃・・・姿勢ノ堅持
・速歩行進・・・銃ノ担ギ方
・停止間ノ操作 折敷 伏セ・・・動作ノ敏活 厳正確実アリヤ
・速歩行進間ノ動作 右(左)向 後向 折敷 伏セ・・・動作ノ確実 順序ノ正確
・運動ト射撃トノ連携 突撃・・・運動ノ迅速 地物利用 喊声
・射撃姿勢 立撃 膝撃 伏撃・・・目標ニ止対シ居ルヤ 足ノ位置ト上体ノ保持 銃把ノ握リ方 銃ノ支ヘ方 角度 上体ノ位置
・速歩□□間ノ動作 折敷 伏セ・・・姿勢ノ堅持 順序ノ正確
・突撃・・・速度ノ快速 喊声
○部隊教練 
●密集 分隊
・整頓・・・間隔ノ正否 小足前進要領
・直行進・・・発進ノ第一歩 前後列ノ重リ
・整頓・・・間隔ノ正否 前後列ノ重リ
・集合解散・・・動作ノ敏捷 集合時ノ解散
・直行進 歩調止メ 歩調取レ・・・目標ニ直進 歩度ノ整正 歩調取レノ第一歩
・側面行進・・・伍ノ整頓 旋回ノ要領
●密集 小隊
・整頓・・・嚮導ノ動作 整頓線ヘノ附キ方 距離、間隔ノ正否
・行進間ノ動作 方向転換 隊形変換・・・部隊正面ノ適否 新方向ニ出ルタメノ列員ノ秩序ノ保持 側面ノ場合旋回ノ動作
●戦闘
・火戦構成ヨリ突撃マデ・・・運動後ノ射撃動作ノ確実 発進停止ノ動作 地物利用 分隊長ノ動作
          つづく

  
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昭和12年-青年学校生徒の軍事教練査閲②

2009年03月08日 07時38分23秒 | Weblog
 昨日のブログで紹介した昭和12年(1937)に県立社高等女学校の校庭で行われた社青年学校生徒の教練査閲について、その内容を「受閲計画書」からみてみましょう。敬礼、不動の姿勢、行進、射撃の姿勢、突撃など戦時だった当時の軍事教練のようすが計画書に書かれた言葉から見えてくるようです。「受閲計画書」は今で言うと教育委員会の視察に際して書かれる「学習指導案」にあたるものだと思うのですが、小さな文字や図が青インクのガリ版刷りでのびっしり書きこまれています。教練の順にどんな教練が、どのような視点で行われたのかを見てみます。


課目
○整列・・・規律的ニ且迅速静粛ニ  
最モ厳粛ニ敬虔ニ  
○査閲官告示 挨拶・・・査閲官臨場セバ先任指導員ノ号令ニ依リ敬礼ヲナシ人員報告
○国歌合唱・・・国歌合唱ハ青年学校教員ノ指導ニヨリコノ際国旗ヲ掲揚ス(掲揚員生徒二名)
○宮城遙拝・・・宮城遙拝ハ執銃者ハ著剣捧ケ銃、其ノ他ノ者ハ脱帽最敬礼トス
○閲兵 姿勢及服装検査
 厳正ニシテ礼節ヲ重視ス 姿勢ハ盤石不動 著装ハ確実
○各個教練(制式・戦闘)
・体操・・・諸関節ノ柔軟ヲ図リ教練ノ基礎体力ノ養成
・小競技・・・側腹筋ヲ練リ懸引力ノ養成
・不動ノ姿勢・・・目、手、足特ニ足ノ開キ、手ノ指
・敬礼 挙手注目、室内・・・注目ノ確実 動作ノ正確 室内ノ敬礼ハ体ノ角度、眼
・停止間ノ動作 右(左)向、後向・・・方向ノ正確 旋回ノ基準
・速歩行進・・・手ノ振リ方 足ノ上ケ方
・不動ノ姿勢
・敬礼 行進間ノ敬礼
・停止間ノ動作 折敷 伏セ
・速歩行進・・・勇往邁進ノ気概アリヤ 
                      つづく
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昭和12年-青年学校に姫路聯隊司令官の教練査閲

2009年03月07日 06時57分13秒 | Weblog
 昭和12年(1937)10月1日、姫路聯隊司令官による社町青年学校の教練査閲が県立社高等女学校で実施されています。社高女学校は現在の裁判所の位置にありました。教練査閲計画書によると、社小学校の校庭で行われる予定だったようですが、改築工事中のために女学校で行われたようです。校庭が狭いので学校周辺も使われたようです。(写真は社高等女学校)
 社区長に出された案内状には、姫路聯隊区司令官の奥村大佐の名前があります。この奥村大佐の名前だったと思うのですが、私が小学校の教員として勤務した加古川の小学校のベテラン女性教師のO先生が「馬に乗った奥村大佐の颯爽とした姿が忘れられん」と口癖のように話しておられたことを思い出します。私が社の出身であることから、先生はよく社高女の話をされていました。
 案内文を紹介します。

拝啓 時下初秋の候に御座候處 愈々御健勝の段奉賀候
扨来る十月一日(金曜)午前九時より県立社高等女学校に於て
姫路聯隊区司令官奥村大佐殿の教練査閲を受くることに
相成り候公私共御多忙中誠に御迷惑のこととは存じ候へ
ども斯道御指導御奨励の御思召を以て是非御来観
下され度此段御案内申上候  
                敬白
 昭和十二年九月二十七日
             社町青年学校長 合田常蔵

社区長
 神田栄太郎 殿
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昭和13年-慰問の便り②

2009年03月06日 06時11分14秒 | Weblog
 昨日に続いて、郷土出身兵士への慰問の便りを紹介します。銃後を守る軍事後援会(社町)とともに社区(現加東市社)では社区銃後団を組織してさらに銃後の護りを確かにしていくことなどが書かれており、戦地の郷土出身兵を励ます内容になっています。今日の写真は叔父(故人)が出征していた中国戦線での渡河のようすです(昭和14年)。小さい頃、訪ねてきた叔父が中国での戦争の話をよくしていたことを思い出します。


拝啓 厳寒にて候に候処益々軍務御精励之段奉賀候
陳者貴殿御出征以来銃後の救護を全ふせん為め社町に於ては軍事後援会を組織し(町長ヲ会長とし)夫れ夫れ各団体に於て銃後を護り来り候処今回事変永続を慮り益々銃後の護りに必要なるを感じ社区に於て各教化団体と一般区民とを合体したる社区銃後団なるものを組織し(団長黒石丑吉氏)将来遺憾なきを期し度考へ居り候間何卒後向の事には御惣念なく専ら軍務に御精励被下度聊かながら御慰問の験として軽少なる慰問袋を銃後団に於て送附する事と致し候間御笑納被下度
益々貴下の御健康と武運長久を祈り前途を祝福して止まざる所に御座候 
                                 匆々

 昭和十三年一月十八日
          社区長  神田栄太郎
          副区長  末永仙太郎
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昭和13年-軍事扶助委員から戦地の勇士への便り

2009年03月05日 06時02分49秒 | Weblog
 昭和13年(1938)、社区(現加東市社)の軍事扶助委員から戦地の郷土出身兵に送られた便りが「諸通達綴」(社区事務所)に綴じられています。ガリ刷りで、青インクの文字がところどころかすれていますが、祖国を遠く離れた異郷の兵士を励ます内容になっています。前年(昭和12年)に起こった支那事変が中国大陸に戦線が拡大していく中、年が明けてこの便りが送られたのでしょう。写真は日本軍の戦車(タンク)ですが、タンクに乗っていた叔父の戦地での写真の一枚です。
 

拝啓 本年は格別の厳寒に候処殊に異郷大陸の地に於て空気も一層と存じ候中に君は敵陣をも者ともせず命令其侭の行動は詢に御察し申上候 乍併貴殿等の誠忠は酬ひられて皇郡の連戦連勝の報を得る毎に内地に於ける吾等の血の跳るが如く感に打たれ居候も暴戻なる支那軍閥の長期定稿方針は何時迄で継続し得る□窺知難き点も有之貴殿等の労苦は実に大なる事を遠く内地より感謝致居候
干時吾等は兵庫県より軍事扶助委員を嘱託せられ銃後の事に就而は出来得る限り誠意を以て御世話致覚悟に有之候尚ホ貴家の御家庭に於ては何等変りし事も無く候□何卒御安心の上益々軍務御精励ヒ下度愈々貴下の御健康と武運長久を祈り聊か御慰問申上候

 昭和十三年一月十八日

社町社区 軍事扶助委員
神田栄太郎 末永仙太郎 藤本豊次 黒石丑吉 神崎壽景 松本與七郎 岸野助十郎 
阿江信太郎 衣笠三之助 神田ムラ
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