ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

昭和5年-陸軍の宿営②

2008年12月15日 05時55分02秒 | Weblog
 今から78年前の昭和5年(1930)の秋、陸軍歩兵第39連隊が社町(旧:今の社小学校区)に宿営することになり、その要綱を紹介しています。現在では身近に自衛隊員の姿さえ見ることは珍しく、ましてや分散宿泊など考えられなくなっています。加東市には陸上自衛隊青野ヶ原駐屯地がある関係で、まだ身近なのかもしれませんが、それでも遠い存在になってしまっています。人々、家々ではどんな雰囲気で兵隊さんの宿営を受け入れていたのでしょうか。


(つづき)
五、土間ニハ蓆又ハ藁ヲ敷キ且適当ナル場所ニテ炭火ヲ使用シ得ル如クス之ガ為「コンクリト」土間ニ在リテハ石等ニテ囲ヲ為シ内部ニ厚ク土ヲ盛ル等ノ設備ヲ為スヲ要ス
六、土間ニハ成ルベク電灯又ハ「ランプ」ヲ利用アイ得ル如クス
七、社、山国、出水、上田ニハ十二三名ヲ収容シ得ヘキ衛兵場ヲ設ク 衛兵場ニハナルベク腰掛ヲ置ク
八、歩兵大隊本部位置歩兵中隊機関銃中隊歩兵砲隊歩兵通信班工兵小隊ハ土間広狭ノ都合ニ依リ露営区内ニ於テ多少変更スルモ支障ナシ
九、歩兵第三十九聯隊本部ハ社中成ルベク社ー東実道ト社ー貝原道トノ交叉点附近ニ於テ適当ナル場所ニ選定ス

二、馬匹
一、馬繋場ハ露天ニテ支障ナシ
二、鞍置場ハ馬繋場附近ニ於テ雨露ヲ凌キ得ル場所ニ設ク

三、銃砲廠
一、機関銃廠歩兵砲廠ハ為ル可ク雨露ヲ凌キ得ル場所ヲ可トス
二、砲兵ノ砲廠ハ学校々庭其ノ他堅硬ナル空地ヲ可トス 己□□得サレバ広キ街道ニテモ支障ナシ

四、給養
1.給養ハ十一月二日夕食ヨリ三日昼食迄三食分ヲ舎主ニ於テ準備セラレタシ之ガ為米麦副食物共代金ヲ以テ左記金額ヲ支払ス 米麦代一名一日分(三食分)定量ニ対シ時価ヲ以テ支払フ(約金十四銭ノ見込) 賄料一名一日分 金三拾銭
2.露営要木炭及蓆又は藁ハ代金ヲ以テ左記ノ通リ支払フ 露営用木炭一名一夜金七銭蓆又藁代一夜分金弐銭

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