ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

依藤野の道標3

2007年03月07日 06時28分12秒 | Weblog
 加東市の嬉野台地を東西に走る県道が、兵庫教育大学や嬉野台生涯教育センターへ入る道路と分かれる地点に道標が立っています。
 ここには依藤野開墾記念碑も建っているのですが、道路からは樹木の陰になりよく見えません。道標はお地蔵さんの隣りに立っています。
 「右 やしろ ほつけ山」「左 大深山 小田」と刻まれています。建立年などはよく読みとれませんでしたが、法華山は加西市一乗寺、大深山は加東市松沢の東福寺で、往来する人々の目印だったことが分かります。今では大学や生涯教育センターへ向かう人がこの分かれ道を通っていきます。お地蔵さまと道標が静かに往来の安全を見守っているようです。
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嬉野の道標

2007年03月06日 05時19分33秒 | Weblog
 加東市の中央に広がる嬉野台地。この台地を東西に走る県道沿い、神姫バス停車場のすぐ脇に一本の道標が立っています。
 道標には「右 木なし 新まち」「左 やしろ みち」と刻まれています。東条方面から来ると、ここで社方面にそのまま向かう道と木梨、新町方面に向かう道との分かれ道がこの辺りにあったのでしょう。
 今ではバスのりばと用水路、県道の歩道があるばかりです。
 
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依藤野の道標2

2007年03月05日 06時37分40秒 | Weblog
 昨日紹介した依藤野の道標のすぐ脇に卵形の丸い石の一部が割れてなくなったような石が置いてありました。近寄ってよく見てみると、道標でした(写真)。
 「右 大ぶかみち」「左 大さかミち」と読めます。大阪道(社村から嬉野を通り東条から大阪方面に通じる道)へ通じる大深山東福寺(松沢)との分かれ道に置かれていたものでしょう。隣の大きな道標が目立って、つい見落としそうですが、その丸い形に目が引きつけられました。

 昔の嬉野は松林が続く原野だったと聞いています。その中に細い道が通じており、社と東条、米田と中東条や下東条を結んでいたそうです。今では自動車が快適に走る広い道路がつき、松林も開発されて農地や宅地、公共施設、ゴルフ場などができています。その中で役目を終えたこうした道標が時代の流れを静かに見つめています。
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依藤野の道標

2007年03月04日 06時12分17秒 | Weblog
 
 社から嬉野を通り、東条へ通じる県道を走っていると、依藤野の大きな坂にさしかかるカーブに一本の道標が立っています。
 林の中の少し高い位置に、しかも大きな字が刻んである石柱なのでよく目立ちます。
 「右 神谷山」「左 大さか」。「神谷山」は「こうだにさん」と読みます。
神谷は神谷山禅瀧寺の門前の村でした。明治6年に国依(くにより)と協議の上合併して「栄枝」と村の名を定めた、と聞いています。
 この社から嬉野を通り、東条へ通じる道は、大阪道とよばれた街道で、依藤野で神谷への分かれ道に道標が建てられたのでしょう。
 
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社小学校の旧校舎

2007年03月03日 06時23分30秒 | Weblog
講堂と西校舎

 これは社小学校の講堂と西校舎の写真です。撮影時期は昭和前半だと思われます。ただ、私が小学生時代を送った昭和30年代末から40年代はじめも同じ風景だったと思います。
 私は3年生、4年生をこの校舎で過ごしました。3年生は写真正面の1階。4年生が写真右の校舎の2階だったと思います。正面の2階が講堂でした。
 休み時間には校舎前の中庭や校舎裏(南側、環状道路側)で遊んだことを覚えています。右の校舎から本館につながるところに便所があり、おばけの噂があったこともよく覚えています。
 写真を見ていると、ふと、あの時代にもう一度戻ってみたいなと思うことがあります。
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出水・福吉の道標

2007年03月02日 06時35分09秒 | Weblog
 東西南北

加東市の出水から福吉へ通じる旧道を行くと、東西南北に道が交わる角に一本の道標が立っていました(写真)。
 明治29年8月(1896)建立とありますので、日清戦争直後、今から約110年前に建てられたことがわかります。
 四面に地名が刻まれています。
「すく 野村 北条」
「すく 社  清水」
「すく 小田 大坂」
「すく 大門 高砂」
「すく」は「まっすぐ」の意味で方向を示しているのですが、東西南北それぞれ目標となる地名が刻まれています。当時はこの角が主要道の重要な分岐点だったのでしょう。
  
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木梨の道標-2

2007年03月01日 06時28分50秒 | Weblog
 加東市木梨の、旧京街道を公民館を過ぎて、さらに北に向かって歩いていると、曲がり角に立っている道標が目に飛び込んできます(写真)。
 下半分は写真のように金具で補強されています。建立年は嘉永元年(1848)で、約160年前のものです。
 表面には「右 いせ 笹山 古市」「左 ほっけさん ひめじ」と刻まれています。街道を往来する幾多の人々の道案内の役目を終え、今は静かに往時の街道の存在を伝えています。
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