ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

依藤野の道標2

2007年03月05日 06時37分40秒 | Weblog
 昨日紹介した依藤野の道標のすぐ脇に卵形の丸い石の一部が割れてなくなったような石が置いてありました。近寄ってよく見てみると、道標でした(写真)。
 「右 大ぶかみち」「左 大さかミち」と読めます。大阪道(社村から嬉野を通り東条から大阪方面に通じる道)へ通じる大深山東福寺(松沢)との分かれ道に置かれていたものでしょう。隣の大きな道標が目立って、つい見落としそうですが、その丸い形に目が引きつけられました。

 昔の嬉野は松林が続く原野だったと聞いています。その中に細い道が通じており、社と東条、米田と中東条や下東条を結んでいたそうです。今では自動車が快適に走る広い道路がつき、松林も開発されて農地や宅地、公共施設、ゴルフ場などができています。その中で役目を終えたこうした道標が時代の流れを静かに見つめています。
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