加東市上中(かみなか)は隣接の喜田とともに滝野社インターの南、旧社町側に位置する地域で、急速に市街化が進んでいます。
年輩の人は上中を中村と呼びます。この中村がかつてこの地方の中心に位置した村であったことがわかります。
県道西脇三田線と旧国道175号線が交わる交差点から少し東の地点で、南北に走る旧道と交わっています。これを北に向かって村中の狭い道を行くと、四つ角に出くわします。中村の中心にあたる四つ角ですが、ここに一本の道標が立っています。
建立年は文久3年(1863)ですから、今から約140年前のものです。高さは約120㎝。その四面には、「左 きたの 下たきの」「すぐ きよみづ」「すぐ やしろ 小野 三木 あかし」「右 志ん町 たき乃 多可郡 たんご」と刻まれています。
この道が、丹後から明石まで、すなわち日本海から瀬戸内まで結ぶ主要ルートであったことを今も伝えて立っているこの道標。ふるさとの歴史遺産として大切にしていきたいものだと思います。
年輩の人は上中を中村と呼びます。この中村がかつてこの地方の中心に位置した村であったことがわかります。
県道西脇三田線と旧国道175号線が交わる交差点から少し東の地点で、南北に走る旧道と交わっています。これを北に向かって村中の狭い道を行くと、四つ角に出くわします。中村の中心にあたる四つ角ですが、ここに一本の道標が立っています。
建立年は文久3年(1863)ですから、今から約140年前のものです。高さは約120㎝。その四面には、「左 きたの 下たきの」「すぐ きよみづ」「すぐ やしろ 小野 三木 あかし」「右 志ん町 たき乃 多可郡 たんご」と刻まれています。
この道が、丹後から明石まで、すなわち日本海から瀬戸内まで結ぶ主要ルートであったことを今も伝えて立っているこの道標。ふるさとの歴史遺産として大切にしていきたいものだと思います。