ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

昭和13年-6柱の遺骨凱旋出迎え

2015年06月20日 05時22分22秒 | Weblog
 昭和13年(1938)の7月、社町長から関係者に遺骨出迎えに関する通知が出されています。この通知は、社区事務所(現加東市社)の軍事関係往復文書綴に綴じられています。ちょうど支那事変から一年、郷土から出動し、戦死された兵士の遺骨凱旋を迎えるものです。一度に6人の遺骨凱旋という通知です。


昭和十三年七月二十四日

                社 町 長

各官衙長殿
各区長殿
各町会議員殿
各学校長殿
各団体・会社代表殿

   遺骨出迎ニ関スル件

本町出身故陸軍歩兵曹長 依藤清君 同軍曹 加古正次君 同 大橋初治君 同伍長 田村義信君 同上等兵 藤本清之助君 同砲兵伍長 田渕守君 六柱ノ遺骨左記ノ通リ凱旋被遊候条此段及通知候也

    記

一、七月二十七日 午後三時  福田橋西詰着

   御願

一、各区民団体員ハ左記要図位置ニ全部出迎ヘラレ度

一、各戸毎ニ弔旗掲揚セラレ度


 通知には、出迎えの図が書かれています。加古川に架かる福田橋の西詰で遺骨が自動車から降り、出迎えの人々が整列している道(旧国道372号)を社の三階十字路まで行進していくようになっています。この出迎え要図と遺骨行進順序が添付されています。
 遺骨の行進順序は次の通りです。

町長-分会長-分会旗-写真、位牌、遺骨(依藤曹長-加古軍曹-大橋軍曹-田村伍長-田渕伍長-藤本上等兵)-遺族-葬儀委員-官公衙-団体・学校-一般
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