ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

孝女ふさ-孝子物語に書かれた物語 ②

2013年02月26日 04時47分15秒 | Weblog
 昨日紹介した、『孝子物語』に書かれたの「孝女ふさ」の続きです。

二 悲しい別れ

 斯(こ)うした状態(ありさま)が二、三年も続きました。親は子を思い、子は親を思う親身の真情(まごころ)を基礎(もと)にした家の内ほど、平和で清く美しいものはありません。おふさの家は近所の褒められものになりました。親子が心を一つにして生計(くらし)を立てゝ行きますと、貧しい家にも光りがあります。
 処(ところ)が天はこの繊弱(かよわ)いおふさを玉にしようと思召したのでありませう。父は不図(ふと)した風邪が原(もと)で、終(つい)に頭も上らぬほどの大病となりました。父が病気になってからは、家の生活(くらし)が苦しくなります。おふさは何(ど)うかしてと思いますが、女の手一つでは良い薬一服買うだけの稼ぎも出来ませんから、幾夜も幾夜も考えた末、炊事奉公(みづしぼうこう)に身を売って、その前借金を父の薬代に当てようと決心しました。然し夫(それ)をするには父の側を離れなければなりません。もし自分が居なかったら、父が何様(どんな)に不自由をするかも知れないと思いますと、思い切って父の手許から離れる事が為(で)きませんので、暫くの間兎つ追いつ(とつおいつ)考えて居りましたが、爾(そ)うして居ては限りがありませんから、漸(やっ)と心を決めて父にその事を打ち明けました。
「お父さま、私は御奉公に参ります。お淋しいかも知れませんが、暫く御辛抱なすって下さいまし、その内には無事で帰って参りますから」
 涙や心配な顔を見せては、父が悲しむだらうと思いますから、成るべく平気を粧って何気無い様で云いますと、父は面(おも)を背けまして
「爾うか、よく決心して呉れた。お前の親切でわしの病気は快(よ)くなります。どうか無理をして患って呉れるなよ」と、歯を切(くいしばっ)て云いました。
 父もこゝで泣いては、おふさが悲しい上にも悲しむだろうと思いますから、煮え返るような悲哀(かなしみ)を怺(こら)えて、涙を見せぬようにして居ました。おふさも泣かず、父も泣かず、表面は一滴の涙も見せないで居ましたが、二人の胸の底には万斛(ばんこく)の涙が大波のように流れて居ました。
「それではお父さま、わたくしは御奉公に参ります。お薬は仏壇の抽斗(ひきだし)に入れてあります。お母様何(ど)うか煎(せん)じて上げて下さいませ。お給金を戴きましたら、すぐお届け致します」
 母も同じように歯を切(くいしば)って「はいはい」と云って居りました。
 おふさは父に別れを告げ、母に後々の事を頼んで置いて、他家へ奉公に参りました。母は戸の外まで見送って出ます。父は病の床で咽せ返って居りました。三日月の影が門(かど)の柳の枝にかゝって、きらきらと光って居ます。星は皆な目叩(まばた)きして、孝女の憂き別れを悲しむように見えます。
                                                                            つづく
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