ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

光明寺合戦

2006年08月10日 05時36分51秒 | Weblog
足利尊氏や高師直らが・・・

 五峰山の山頂、光明寺本堂の裏に「光明寺合戦本陣跡」と刻まれた大きな石碑があります(写真)。
 光明寺合戦とは、今から670年余り前、五峰山を舞台に足利尊氏と弟直義(ただよし)方の軍勢がくりひろげた戦いのことです。
 足利尊氏といえば、室町幕府の将軍すなわち武家の棟梁ですが、実際の幕府政治は弟の直義が担当し、兄弟二頭立ての政治が行われていました。その二人が戦ったのは、尊氏の執事、高師直(こうのもろなお)と直義の権力争いが原因だったようです。
 五峰山の本陣跡というのは、光明寺にたてこもった直義方の軍勢の本陣が置かれた場所で、これを攻めた尊氏と高師直の軍勢は引尾山、そして鳴尾山に陣を置いたとされています。
 太平記には尊氏勢は一万、直義方は五千と書いてあり、戦いは立てこもる直義方の石塔頼房らの陣を尊氏、師直の軍勢が激しく攻めたてたと伝えられています。実際にどの程度の戦いがあったのかは定かではありませんが、直義方の援軍が迫り、尊氏勢は陣を引き払っています。戦いは10日余りだったようです。
 五峰山には駐車場から光明寺に登る道の各所に光明寺合戦の立て札があり、合戦の説明が書いてあります。

 
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