ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

孝女ふさ-孝子物語に書かれた物語 ①

2013年02月25日 05時39分45秒 | Weblog
 「孝女ふさ」は、18世紀半ば、江戸時代に播磨国加東郡上三草村(現在の加東市上三草)で親に孝行を尽くした人として知られ、戦前には修身教科書にも取りあげられていました。上三草の旧京街道沿いにふさの孝行を讃える「彰孝碑」が建てられており、今も地元の老人会の皆さんが清掃をして大事に守っておられます。
 その「孝女ふさ」について、この度、武蔵野大学の貝塚茂樹教授から大正6年(1917)に発行された『孝子物語』(高島平三郎立案、渡邊霞亭編述)の中に「孝女ふさ」の項があると教えていただきました。「孝女ふさ」は修身教科書のみならず国語教科書にも取りあげられており、その回数はあの野口英世博士よりも多いということも教えていただき驚きました。
 「孝女ふさ」については、地域の歴史書である『加東郡誌』、『上福田村史』、『新修加東郡誌』などにその記事があります。また、修身教科書にも記述があるのですが、『孝子物語』は物語として書かれているふさの話で貴重なものです。
 郷土が生んだ孝行の模範「ふさ」の物語を紹介します。4章構成になっていますので、1章ずつ紹介します。歴史的かなづかいは現代かなづかいにしました。
 

孝女ふさ

一 八歳で草履売

 今からちょうど百四十年ほど前(※1917年時点)、播磨国の加東郡上三草村(かみみくさむら)という所におふさという少女がありました。
 家は貧しい百姓で父も母も毎日毎日田圃(たんぼ)へ出て働いていました。おふさは八歳の幼い時分から、近所の家へ子守に雇われたり、お使いをしたりして家の活計(くらし)を助けていました。夜になると父が草履(ぞうり)や草鞋(わらじ)を作る傍ら(かたわら)で、時分も藁(わら)を打ったりして手伝っておりました。そして、その草鞋や草履を売りに行きました。
 おふさは毎日街道筋の松並木の傍らへ出て、父の作った草鞋を売っています。
「おい少女(おねえ)さん、草鞋を一つおくれ」
「おゝおふささんか、毎日精が出るのう、どれ私も一つ貰(もら)おうか」
「おふささん、お前の売っている草履は中々よく保つ、同じ銭を出しても、外(ほか)ではこんな丈夫なのは買われない」
「おゝそんな丈夫なのなら、私は三足程貰います」
「おいおふささん、向うの茶店の婆さんが、お前の来るのを待って居るぜ。同じ草鞋でもお前の草鞋は客受けが好いと云っての」
 知った人も知らぬ人も、争うておふさの草履や草鞋を買って行きます。
「はい毎度有り難うございます」と、おふさは売れ残った分を肩にかけて道を急ぎました。村端れ(はずれ)の茶店ぼ前を通り掛けますと、ちらとおふさの姿を見た婆さんが「おふささんじゃないか、今日は大層急いでいるねえ、どうしたんだえ」と尋ねました。するとおふさは
「はい、もう日が暮れますので、お父さんの迎ひに山へ行かねばなりませぬ。又明日の朝ゆっくり寄せて貰います」
「それはすれは感心な事じゃ、お前の孝行は此の村で誰知らぬものもない。昼は使い走りや子守に雇われて、其の間には、こうやって草履や草鞋を売って歩き、日が暮れかゝると、年とったお父さんを山へ迎えに行く。夜は仕事の手伝いをしてお母さんの手助けをする。なかなか八歳や九歳で大人も及ばぬ働きをするのは、教えても出来ぬ事じゃ。然しな、おふささん、私の店へも、もっと草鞋を売って下されや」
「はい毎度有り難うござります。それではこゝに五足ありますから、是(これ)だけ置いて参ります」
 おふさは肩から草鞋を下ろして渡しまして、其のまゝ家へは帰らずに、山へ登って行きました。日はもう、西の空へはいってしまって、真赤な夕焼の雲が、薄暗くなった林の中まで照らしています。おふさは「お父さんお父さん」を二声三声呼びますと、「おういおうい」と答えるのが、木霊(こだま)に響いて聞こえます。どこにお在(い)でなさるかと思う中、足元の方から登って来る父の姿が見えました。おふさは喜んで「おゝお父さん、迎えに来ました」と云いました。父は「それはまあ有り難い。少し遅くなるとお前が心配して迎えに来るから、早く帰ろうとは思うが、仕事の都合で、やっぱり此様(こんな)に遅くなる、どれそれでは帰ろうか」と、おふさと共に山を下りました。
                                    つづく
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2 コメント

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リンクをさせていただきました (吉井 良平)
2015-09-30 09:10:11
こんにちは。
1915年(大正4年)9月30日の読売新聞に、「孝女ふさ」に関する記事があり、それをもとに上記のホームページに記事を作成しました。
ふささんの修身の教科書の内容が紹介されているページは無いかな、と思って探していたところ、貴ページにたどり着きましたので、リンクをさせていただきましたので、連絡させていただきますね。
勉強になりました。ありがとうございます!
Unknown (ブログ管理人)
2015-10-02 12:46:29
コメントありがとうございます。「孝女ふさ」の調査が行われたとの当時の新聞記事の紹介ありがとうございます。参考になりました。貝塚茂樹先生(武蔵野大学)によれば、修身、国語の教科書で「孝女ふさ」は野口英世より多く取り上げられていたと教えていただきました。加東市には「孝女ふさ」の顕彰碑があります。このブログでも度々取り上げていますので、また、いろいろな機会にご紹介くだされば幸いです。

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