今日は「孝女ふさ」の第三章を紹介します。
三 孝女の奉公振り
孝に厚い者は忠にも厚いと云いますが、全くその通りで、おふさは主人大事とよく勤めました。朝も、夜も、星を戴いて野仕事を致します。雨でも降って家に居りますと、草鞋を作ったり、繩を綯(な)ったりします。そうして片時も油断しないで、一生懸命に働きますから、主人も大変気に入りまして「おふさおふさ」と可愛がります。
雨祝いなどで休みがありますと、田舎の事ですから、餅を搗(つ)いて喜んだり、祭礼(まつり)があるか、仏事でもあると、温飩(うどん)を打ったり、お萩餅(はぎ)を拵(こしら)えたりして馳走をします。雨祝いや祭礼には、村中が休みますから
「おふさや、毎日よく精を出してくれますねえ。今日は村中がお休みだからお前さんも休みなさい。恰(ちょう)ど餅(あんも)を搗いたからこれを上げます。お萩餅もあるからお喫(あが)りなさい」と云って、お暇と甘味(おいし)い物を呉れます。するとおふさは之れを一個も食べませんで
「有難う存じます。それでは一日遊ばせて戴く代りに、どうぞ実家(うち)へ帰らせて下さいませ。この餅や、お萩餅を、病(や)んで居るお父さまのお土産に致します」と云うのが平生(つね)でした。
主人も同じ召使も、おふさの心掛に感じないものはありません。
「休みだからお前の好いようにしてお暮らしなさい。内へ帰るのだったら、此方のを上げますよ」と云って、別に多くの物を呉れるようになりました。
おふさは夫を風呂敷に包んで、いそいそと実家へ帰って来まして
「お父様、これをお喫りなさいませ、これは御新造(ごしんぞ)さんから戴いたのでございます。またこれは旦那様が下すったのでございます」と、貰って帰った物を枕頭(まくらもと)へ並べます。
父は夫(それ)を見るたびに嬉し涙を流します。どう云うものか、病気は快い方に向いませんで、段々痩せ窶(やつ)れて参りますが、おふさの優しい心に触れますと、俄(にわか)に蘇生(よみがえっ)たようになります。常にはお粥も重湯も食べ難(か)ねる程ですが、おふさが持って帰ったものは、何の苦も無く咽喉(のんど)を通って行きます。母親もそれには感心しまして
「まあ、何という不思議なことだろう」と云って驚きました。
おふさは、父の食い余した物は、次に母へ侑めまして、その上でないと、自分は戴きませんでした。
「今日は真実(ほんと)に心持ちが好い、これでわしは全快します」
父が心から歓ぶ背後(うしろ)を、柔らに撫(な)で擦(さす)りを致します。偶(たま)の休みに、外(ほか)の奉公人や村の人たちは、唄祭文(うたさいもん)を聞いたり、素人芝居をしたりして遊びますが、おふさは実家へ帰って、父の看病を致すのを第一の楽しみと致しました。
時間の許す限り介抱をしまして、主人の家へ帰りますと、翌日は平生に幾倍して精を出します。
「昨日一日遊びましたから、今日はその埋め合せに二日分のお仕事を致さねばなりません」
斯う云って勉強します。世に奉公人根性という者があって、主の目の届かぬ處(ところ)では、成るべく骨を盗むようにしますが、おふさは主人の目の届かぬ處でも、一層熱心に働きました。主の為めに働くのは、将来必ず自分の身に報いて来ます。つまり自分の為めに働くと同じことです。
つづく
三 孝女の奉公振り
孝に厚い者は忠にも厚いと云いますが、全くその通りで、おふさは主人大事とよく勤めました。朝も、夜も、星を戴いて野仕事を致します。雨でも降って家に居りますと、草鞋を作ったり、繩を綯(な)ったりします。そうして片時も油断しないで、一生懸命に働きますから、主人も大変気に入りまして「おふさおふさ」と可愛がります。
雨祝いなどで休みがありますと、田舎の事ですから、餅を搗(つ)いて喜んだり、祭礼(まつり)があるか、仏事でもあると、温飩(うどん)を打ったり、お萩餅(はぎ)を拵(こしら)えたりして馳走をします。雨祝いや祭礼には、村中が休みますから
「おふさや、毎日よく精を出してくれますねえ。今日は村中がお休みだからお前さんも休みなさい。恰(ちょう)ど餅(あんも)を搗いたからこれを上げます。お萩餅もあるからお喫(あが)りなさい」と云って、お暇と甘味(おいし)い物を呉れます。するとおふさは之れを一個も食べませんで
「有難う存じます。それでは一日遊ばせて戴く代りに、どうぞ実家(うち)へ帰らせて下さいませ。この餅や、お萩餅を、病(や)んで居るお父さまのお土産に致します」と云うのが平生(つね)でした。
主人も同じ召使も、おふさの心掛に感じないものはありません。
「休みだからお前の好いようにしてお暮らしなさい。内へ帰るのだったら、此方のを上げますよ」と云って、別に多くの物を呉れるようになりました。
おふさは夫を風呂敷に包んで、いそいそと実家へ帰って来まして
「お父様、これをお喫りなさいませ、これは御新造(ごしんぞ)さんから戴いたのでございます。またこれは旦那様が下すったのでございます」と、貰って帰った物を枕頭(まくらもと)へ並べます。
父は夫(それ)を見るたびに嬉し涙を流します。どう云うものか、病気は快い方に向いませんで、段々痩せ窶(やつ)れて参りますが、おふさの優しい心に触れますと、俄(にわか)に蘇生(よみがえっ)たようになります。常にはお粥も重湯も食べ難(か)ねる程ですが、おふさが持って帰ったものは、何の苦も無く咽喉(のんど)を通って行きます。母親もそれには感心しまして
「まあ、何という不思議なことだろう」と云って驚きました。
おふさは、父の食い余した物は、次に母へ侑めまして、その上でないと、自分は戴きませんでした。
「今日は真実(ほんと)に心持ちが好い、これでわしは全快します」
父が心から歓ぶ背後(うしろ)を、柔らに撫(な)で擦(さす)りを致します。偶(たま)の休みに、外(ほか)の奉公人や村の人たちは、唄祭文(うたさいもん)を聞いたり、素人芝居をしたりして遊びますが、おふさは実家へ帰って、父の看病を致すのを第一の楽しみと致しました。
時間の許す限り介抱をしまして、主人の家へ帰りますと、翌日は平生に幾倍して精を出します。
「昨日一日遊びましたから、今日はその埋め合せに二日分のお仕事を致さねばなりません」
斯う云って勉強します。世に奉公人根性という者があって、主の目の届かぬ處(ところ)では、成るべく骨を盗むようにしますが、おふさは主人の目の届かぬ處でも、一層熱心に働きました。主の為めに働くのは、将来必ず自分の身に報いて来ます。つまり自分の為めに働くと同じことです。
つづく