ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

涌羅野義塾で使われていた教科書ー昭和3年発行『新日本讀本』

2024年09月08日 05時49分43秒 | Weblog
 

 同級生から譲り受けた古い本の中に昭和3年発行の『新日本讀本』がありました。国語の教科書で、大正14年の発行、手許にあるのは、修正版巻七となっています。発行元は東京神田神保町の修文館です。
 この本に「兵庫縣加東郡社町本町 涌羅野義塾二年」と書き込まれています。この「涌羅野義塾」は、以前にこのブログで紹介したことがありますが、再掲します。(※2013.1,11投稿)

 涌羅野義塾(ゆらのぎじゅく)は、大正3年(1924)に社町の識者や女学校の先生によって学ぶ意欲はあっても経済的な理由などから進学できなかった青年のための夜学塾として開設され、昭和3年(1928)には、昼間制に改められた中学校に準ずる各種学校のことで、高等小学校を卒業した多くの地方青年が学びました。
 「涌羅野」(ゆらの)は、社市街地を南北に走る道路(旧県道)から西側に広がる一帯をさす地名で、大師堂のある加東市社の持寶院の寺号も涌羅野山慈眼寺持寶院というこの地名がついています。また、現在、持寶院の向いに「ゆらのホール」(社一区公民館)がありますが、今の会館に建て替えられる前、ここに木造の建物があり一区公民館として使われていました。この木造の建物が「涌羅野義塾」の校舎だったそうです。

 188頁で、23編の文章と附録の資料(図絵、写真等)が掲載されています。その筆者を見ると、思わず頁を開いて読みたくなってしまいます。挙げてみると、永井荷風、島崎藤村、和辻哲郎、三木露風、尾﨑紅葉、松尾芭蕉、荻原井泉水、德富蘇峰、高山樗牛、上田敏、鶴見祐輔、夏目漱石等々錚々たる人々です。平家物語、平治物語、保元物語、玉かつま、太平記など古典もあります。100年近く前、涌羅野義塾に学ぶ青年達がこの教科書で学んでいたんですねえ。思わず姿勢を正して読んでしまいました。
コメント
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