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大石燈籠
楼門脇の大きな石燈籠が参拝者の目を引きます。この大燈籠は日本五大燈籠の一つだといわれています(故・上月輝夫先生談)。
この石燈籠の下部の石には「佐保講」と彫ってあります。明治16年に佐保講の寄付によって造られたことを記したものです。
佐保講とは、伊勢神宮に月参する目的を持ったグループのことです。弘化4年(1847)につくられ、加東郡内(現加東市、小野市域)はもとより北播磨地域に広くその講員がいたようです。盛時には三千名に達したということです。
その石燈籠を囲む玉垣には、一本一本ごとに寄進者の名が刻まれています。その地名を読んでいくと、大阪道頓堀、伊賀国名張、京都大橋など社から遠く離れた地名が続きます。
これは、社から伊勢までの道中に利用した定宿の地名と宿屋の主人の名前なのです。伊勢参りを通じて、社と遠隔の地が結ばれていたことがわかります。
楼門脇の大きな石燈籠が参拝者の目を引きます。この大燈籠は日本五大燈籠の一つだといわれています(故・上月輝夫先生談)。
この石燈籠の下部の石には「佐保講」と彫ってあります。明治16年に佐保講の寄付によって造られたことを記したものです。
佐保講とは、伊勢神宮に月参する目的を持ったグループのことです。弘化4年(1847)につくられ、加東郡内(現加東市、小野市域)はもとより北播磨地域に広くその講員がいたようです。盛時には三千名に達したということです。
その石燈籠を囲む玉垣には、一本一本ごとに寄進者の名が刻まれています。その地名を読んでいくと、大阪道頓堀、伊賀国名張、京都大橋など社から遠く離れた地名が続きます。
これは、社から伊勢までの道中に利用した定宿の地名と宿屋の主人の名前なのです。伊勢参りを通じて、社と遠隔の地が結ばれていたことがわかります。
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