ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

聖神池

2006年08月14日 04時17分05秒 | Weblog
赤穂義士-吉田忠左衛門と聖神池

 加東市多井田(旧滝野町)の国道175号線の東の方に聖神池という名の池があります。「聖神(ひじりがみ)」とは尊い名前の池だなと思いますね。近くのお年寄りに聞きますと「ひじがみいけ」と呼んでおられました。
 この池の名の由来は、池の工事を指揮した吉田忠左衛門(よしだ・ちゅうざえもん)に対する人々の感謝と尊崇の念からついたそうです。
 さて、吉田忠左衛門とはどういう人物だったのでしょうか。
 忠左衛門は有名な赤穂四十七士の一人で、赤穂藩の家臣として、加東郡代をつとめた人物です。
 赤穂藩は赤穂とその周辺のほかに、加東郡(現加東市・小野市域)や加西郡(現加西市)に領地をもっていました。加東市の旧滝野町域では、多井田、穂積、曽我、北野、河高が赤穂藩の領地でした。
 赤穂藩は穂積に陣屋を置いていました。吉田忠左衛門は加東郡代としてこの領地を治める役人でした。
 この頃、多井田は水不足に苦しんでおり、池をつくることになりました。吉田忠左衛門は村内を調べて、池をつくるにふさわしい場所を定め、藩の許しを得て工事を始めました。
 ところが、そこに赤穂藩主浅野内匠守長矩(あさのたくみのかみながのり)の刃傷事件が起こり、赤穂藩はとりつぶしになってしまったのです。工事はその後も進められ、完成が迫ったころ、赤穂義士による吉良邸への討ち入りが行われました。その中に吉田忠左衛門もいたのです。

 赤穂義士と関係のある池、そしてそのことを今に伝える池の名前。これからも伝えていきたいですね。 
 
 
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