ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

加東歴史の会例会-加古川と由良川の通船計画

2019年09月09日 05時22分55秒 | Weblog
 8日(日)の午後、加東市滝野公民館の一室で、加東歴史の会の例会が行われ、久しぶりに出席することができた。今日のレポートは、会員レポートで、「近世中期の由良川・加古川通船計画」と題して、学術論文の紹介でした。
 日本列島のほぼ中央部、兵庫県を流れる加古川と京都府を流れる由良川をそれぞれ上流で連結して、日本海と瀬戸内海を舟運で結ぶという計画があったことは聞いたことがありましたが、詳しいことは知りませんでした。今日のレポートには非常に興味津々で、加古川舟運と由良川舟運の歴史、日本海を西回りに大坂を結ぶ西回り航路の短縮計画が江戸時代の中期に両舟運を連結して実現しようとする取り組みが熱心に行われていたことに驚きました。実現しなかったのが残念でしたが、幕府、藩、舟運関係者らのそれぞれの権利関係や思惑などが複雑に絡んで、なかなか難しかったことが想像されました。会員の中から、そういう意味では、江戸時代の地方分権の仕組みを見せられたようだという感想には同感でした。写真は、明治の初め、加古川中流の闘龍灘(加東市)の岩を掘削してつくられた水路(堀割)です。
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