ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

御大神宮さんの掃除-刻まれた町内の歴史

2019年07月24日 05時44分39秒 | Weblog
 

 23日(火)の朝、町内会の当番隣保の2人で佐保神社境内にある御大神宮さんの祠の掃除をしました。25日がお祭りにあたり、その前に草引きや枯葉の掃除をというものでした。
 御大神宮さんはこの歴史ブログでも紹介したことがありますが、元は田町筋(たまちすじ)に鎮座していたものを道路拡張のために昭和初期に佐保神社境内に遷されました。田町筋の真ん中の町内会の中田町(なかたまち)町内会がそうした縁で、今も毎年7月25日にお祭りをしているわけです。
 この祠の玉垣には、繁栄していた頃の田町筋の歴史が刻まれています。まず、門柱には、加東米穀取引所の文字が刻まれています。かつて、田町筋で米相場が立てられていたもので、大阪堂島の米相場の情報を集めて取引が行われていたことを示すものです。玉垣には仲買人の名も刻まれています。また、昔からの田町筋の家の名も刻まれています。肥田、服部、磯貝、門脇、柏木等々。その中に日本画家として知られる三木翠山の父親である服部壽七の名もあります。一緒に作業をした服部さんもその縁につながる人でした。かつては賑わい、戸数も30を超えていた中田町町内会も今では半減しています。それでも御大神宮さんを祀り続けています。
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