ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

河高の厄神さん

2009年02月12日 05時13分24秒 | Weblog
 2月11日、加東市河高の八幡神社で厄厄除け祭が行われました。この歴史ブログでも去年紹介しましたが、この祭では、地元出身の成功者や厄年の人たちがお金(硬貨)をまき、それを子どもたちが拾うという行事が行われることでも知られています。
 去年と話しはほぼ同じになってしまいますが、本殿に参拝したあと、地元の皆さんが開いておられるテント店で温かいうどんをいただきました。そのあと、本殿脇の坂道を登って山上の祠に向かいました。山上は、広場のようになっており、むき出しになった大きな岩盤が目に飛び込んできます。その真ん中に巨大な岩が天に向かって立っており、その頂上に小さな祠が安置されています。巨石には注連縄が張られ、この一画が神聖な場所であることをさらに強調しています。この山頂は加西との境にもあたる場所でもあります。
 巨岩の前の広場には法被姿の子どもたちが群れています。そこへ袋やお盆にお餅などを持った人たちが現れ、巨岩の上の祠にそれをお供え、拝んだあと、子どもの方に向かって硬貨やお菓子をまきます。子どもたちは歓声をあげながらそれを拾って用意した自分の袋に入れていきます。周囲では子どもの親御さんや家族がその光景を微笑みながらみています。子どもの中にはランタンを持ってきている姿も見られ、早朝3時から来る子どももいるとか。また、消防団は3班に分かれて5時から持ち場についているということも聞きました。

 この河高八幡の厄除け祭について去年のブログで紹介した文を再掲します。

 河高八幡さんは、今から約470年前の天文4年の創立とされ、「厄除けの霊験頗る顕著」なお宮さんとして知られ、厄除けのお祭りが毎年一月十九日に行われていました。この日には旧加東郡や加西、多可郡から多くの人が参詣したと聞きました。また、地区の子どもたちはこの日ばかりは学校を休んでお祭りに出たということでした。年輩の方の話では、前夜から友達と連絡を取り合い、午前三時頃から山の上に向かつたそうで、親も寝ておれなかった、ということです。戦後の一時期、女の子も参加したようですが、今は地区の男の子だけが参加できることになっています。この祭りを「奇祭」とよび、子どもがお金を拾うという行為を好ましくないなどという観点から一部の批判があったことは確かで、毎年新聞でそのようなコメントが付けられていました。しかし、このお祭りは厄除けの祭り、伝統文化、地域社会などの観点から見るとそのような表面的な見方だけの批判は的はずれといわざるを得ません。子ども達は拾ったお金を特別なお金として大切に使い方を考えたと聞くきました。また、拾っている姿を見ていると、年長の者が年少の者に配慮しながら拾っている姿もありました。成功した人が地域に感謝の気持ちを示すというこうした姿勢をこの子ども達がまた継承していき、地域の維持発展につながることになると思います。

 心配された天気も晴れて、地元の方から「ぽかぽの湯」の温泉たまごをいただいて、身も心も温まったお祭りでした。 
コメント
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