ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

旧三草小学校跡の忠魂碑

2009年02月06日 05時29分18秒 | Weblog
 加東市上三草にあるやしろ国際学習塾の敷地の北東の角に忠魂碑が高くそびえています(写真)。碑の正面土台のところに英霊のご尊名を刻んだ銅板が安置されていたので見てみると、約130柱の御名が刻まれていました。最も古いものは明治10年の西南の役でした。今から約130年前、最後の内戦となった西南の役にこの地から出征され戦没された方がおられたということにあらためて驚きました。
 近所の方の話では、敗戦から占領期間中は上部の忠魂碑と刻んだ石は傍らに埋められていたそうです。講和独立後に再び土の中から掘り起こされ元の台の上に据えられたということでした。
 碑の忠魂碑の字は川村景明陸軍大将の揮毫で、大正15年3月の建立となっています。社の忠魂碑もこの川村大将の揮毫で、このブログでも紹介しましたが、もう一度川村大将について説明しておきます。川村大将は薩摩出身の陸軍軍人で、日露戦争では鴨緑江軍司令官として奉天会戦などで活躍した人物です。日露戦争後は子爵となり、大正4年には元帥、その後在郷軍人会会長をつとめています。大正時代のはじめには、全国的に忠魂碑建設ブームが起こりましたが、川村大将は多くの忠魂碑の揮毫をしています。
  
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