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予定説Q&A: ジュネーヴ聖書1583より

「予定説、神の言葉と秘跡についてのQ&A」
ジュネーヴ聖書(1583)より

Q.
どうして人は宗教の問題についてあれほど意見があわないのでしょうか。
A.
それは誰もが同じ程度の知識をもっているわけではないからです。また、誰もがキリストによる救済の知らせを信じているわけではないからです。

Q.
それはどうしてですか?
A.
天国において永遠に生きられるよう定められた人だけが、救済の知らせおよびキリストの教えを信じることができるからです。

Q.
すべての人が天国に行けるよう定められてはいないのですか?
A.
神の怒りが注がれるべき杯として破滅に定められた人もいます。神の慈悲が注がれる杯として天国の栄光に定められた人とは反対に。

Q.
正義であるはずの神が人を地獄行きに定めていいのですか?
A.
もちろんです。すべての人は罪をもっていますので地獄に落とされて当然です。そんな罪深い人間の一部を救済されるよう定め、真理を知らせてくださっているのですから、まさに神の慈悲には驚くばかりです。

Q.
神の定め・決定どおりになるのなら、人はもう何も考えずに生きればいいということになりませんか? よい人生を送った人でも地獄落ちに定められていれば地獄に行くわけですし、逆に悪い人生を送った人でも天国行きと定められていれば天国に行くわけですから。
A.
それは違います。天国に選ばれた人が常によいことをしようと考えない、などということはありえませんし、逆に地獄行きに定められた人がよいことをしようと考えることもありえません。なぜなら、よい意志をもちよいおこないをすることは神の霊が宿っている証であり、これは天国に選ばれた人のみに与えられるものだからです。この神の霊によって信仰が生まれ、この信仰によって人はキリストと一体となり、そして定められた天国にふさわしい存在として清らかになっていくのです。そのような人は、天国行きに定められているのだから好き放題に生きればいい、と一度でも考えるような愚か者ではありません。むしろ、救い主イエスとしての神が彼に定め用意したよいおこないをして生きることを心がけます。それが天国に選ばれた人の心の安らぎ、支え、自信の源であり、また神の栄光なのです。

Q.
でも、天国で永遠に生きられるよう自分が定められているかどうか、どうしたらわかるのですか?
A.
日々魂が生きていくなかにいろいろなヒントがあります。神に選ばれた人においては肉体だけでなく魂も生きていますから。感覚やさまざまな身体機能によって体が生きていることがわかるように、魂もいろいろ感じ、自分が生きていることや永遠に生きるであろうことを感じるのです。

Q.
魂が感じるヒントとはどんなものですか?
A.
良心の咎め、反省の習慣、罪を憎み正義を愛する心、永遠の生を求めてキリストを信じる気持ち、苦悩のなかにあっても感じられる心の安らぎ、聖霊によって与えられる自信、神の恵みに対する感謝、すべての苦境を成長の機会ととらえる思考、などです。

Q.
それらを時折感じるような人は滅びないのですか?
A.
そのような人が滅びることはありえません。一度定めたことを神が変えることはなく、選んだ人に与えた恵みを神が撤回することもありません。一度天国に受け入れた人を追い出すこともありません。

Q.
では、どうしてダヴィデに倣って神に「顔を隠さないでください、聖霊をわたしたちからとりあげないでください」と祈る必要があるのでしょうか?
A. そのように祈ることによってわたしたちは、神を疑ってしまう心の弱さを告白しているのです。でも同時に、わたしたちがそう祈ることができるのは、神がわたしたちの祈りに応えてくれると確信しているからでもあります。ご自身のお考えのとおりに、またわたしたちに約束してくれているとおりに。

(つづく)

*****
"Certaine Questions and Ansvveres
Touching the Doctrine of Predestination,
the Vse of Gods Worde and Sacraments"
From Geneva Bible 1583





次のページに現代綴り版あり(含ミス)
http://www.truegospel.net/GS/1843/43268.htm

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