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From Whichcote, Moral and Religious Aphorisms (1753)

ベンジャミン・ウィッチカット
『道徳・宗教格言集』より(2)

24
すべてのものには、外的な力により乱されても
元の、そして真の状態に戻ろうとする性質がある。
神の定めた道徳においても、同じように考えるべき
ではないか? 正しく生きることこそ魂の健康であり、
真の姿、自然な姿である。これに対して悪事をなす
者の魂は病んでいるのである。

42
人とは本来邪悪なことを嫌うものである。なぜなら
悪とはもともと人のうちにないものだから、
もともと人のうちにあるのは善だからである。
Cf. Augustine/Pelagius, Calvin/Arminius

48
真の満足が得られるのは、心が神の求めること、
正義の掟に適うことをしている時だけである。

62
心のありかたをきちんと制御すること、これが
いちばん大きな自由である。

71
人としてふさわしいこと、人にしかできないこととは、
頭を使って正しいことをすること、まさにこれだけである。

76
正しいことをしないこととは神に反することである。
正しく判断してしなくてはならないこと、神ご自身が
求めること、この二つはまったく同一のものである。
理性とは人の暮らしを統治する神の使い、むしろ
神の声そのものである。

84
正しいこととは神の掟によって定められているのであり、
それをこの世の掟とすべきである。

87
神を信じる目的は人間らしく生きること、獣や
悪魔にならないようにすることである。わがままに生きて
体の要求に溺れれば人は獣になってしまう。
思いあがったり悪意を抱くと人は悪魔になってしまう。

100
天国も地獄も、その土台はわたしたちの心のうちにある。
天国とはまず純粋な心の状態、心が神の定めることを
している状態、正義の掟に従っている状態のことである。
逆に罪悪感に駆られて良心が痛んでいる状態、正義の掟に
反している状態が心の地獄である。罪悪感が地獄の炎を
燃やすのである。
Cf. Milton, Paradise Lost

114
人が人の心を失ういちばんの原因は、誤ったかたちで
燃えあがらんばかりに熱く神を崇めることである。
キリスト教徒でなくても心優しい人のほうが、
狂ったように熱いキリスト教徒よりも神の意に
適っている。
Cf. "Puritanism"

(つづく)

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Benjamin Whichcote
From Moral and Religious Aphorisms
ed. Samuel Salter (1753)


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詩ではなく散文。ケンブリッジのプラトン派。

カルヴァン派的な熱狂・教条主義・排他性から
日々の道徳の指針としてのキリスト教へ。

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