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Daniel, "Pastoral"

サミュエル・ダニエル
「羊飼いの歌」

あの黄金の時代は楽しかったなあ!
別に、乳の川が
流れてたから、木から蜂蜜があふれてきてたから、じゃない。
なんにもしなくても大地が
農民に
実りをただでくれてたから、でもない。
冷たく凍えることがなかったから、
雲が出て
花咲く春がダメになったりしなかったから、でもない。
すべてのものがいきいきしていて、
いつも空がにこにこしてたから、でもない。
船が出ていって
よその国と戦争したり、略奪したりしなかったから、でもない。

そうじゃなく、あの言葉、
あのくだらない、馬鹿な言葉、
意味のないインチキなあの偶像、
あの〈純潔〉っていう
暴君が、まだ心を支配してなかったから、
なんの権利もないのにぼくらに拷問をかけたり
してなかったから、よかったんだ。
あいつがまだ悲しませたりしてなかったからよかったんだ。
陽気な恋人たちが
甘い時間を過ごしてるときに。
生まれながらにして自由な心は、あいつの掟なんて知らなかった。
あの頃には、人の本質にあった黄金の掟しかなかった。
たとえば、「楽しいことはみな合法」とか。

花と泉にかこまれて
楽しく遊び、
恋人たちはけんかなんかしなかった。心が炎に焼かれたりしなかった。
妖精の女の子たちも、羊飼いの男の子たちも歌ってた。
ちょっとエッチに楽しくみんな混ざりあって、
歌でささやいて、ささやきながらキスして、
みんながみんなを好きだった。
はじめての女の子も裸になって、
咲きはじめたバラのようにきれいなからだを見せてくれてた。
今ではヴェールで隠してしまうけど。
ふくらみかけた胸は若いリンゴのようだった。
透明な川のなか、
よく恋人たちはいっしょに遊んでた。

〈純潔〉ってやつが、そんな
楽しみの泉をふさぎやがった。
あいつのせいで、恋の渇きが水で癒されなくなった。
あいつのせいで、きれいな瞳から
光りと輝きが奪われてしまった。
男の子たちではなく自分を見るようになってしまった。
あいつが最初に女の子たちの
金色の髪を布に閉じこめてしまった。
それまでは風になびいて広がってたのに。

あいつのせいで、おおらかだったかわいい子が冷たくなった。
言葉をつつしむようになったり、歩きかたを気にするようになった。
なんてこった! 〈純潔〉の野郎! おまえのせいで
泥棒扱いされるようになったんだ。恋がただでくれてたものをもらうだけで!

おまえのせいでぼくらは
悲しみ、拷問にあえがなくちゃならなくなった。
人の本質や恋まで抑えつけるおまえなんて、
王の資質まで決めつけるおまえなんて、
ぼくらには関係ないだろ?
上の世界と縁がないぼくらなんて相手にする価値ないだろ?
だから行けよ、ぼくらの前から消えてくれよ。
偉い人たちを悩ませて、眠れなくしてればいいだろ。
卑しく、社会の隅でひっそり生きてるぼくらには、
おまえのお恵みなんていらないんだ。
昔みたいに楽しく幸せに生きていたいんだ。
さあ、恋をしよう。ぼくらのこの命は、
すべてを食い散らかす〈時間〉にいつも狙われてるんだから。
恋をしよう。太陽は沈んでもまた昇る。
でも、ぼくらの短い命の明かりが
一度沈んだら、あとは永遠の夜だから。

* * *
Samuel Daniel
"A Pastoral"

O happy, golden age!
Not for that rivers ran
With streams of milk, and honey dropped from trees;
Not that the earth did gage
Unto the husbandman
Her voluntary fruits, free without fees;
Not for no cold did freeze,
Nor any cloud beguile
Th'eternal flowering spring,
Wherein lived every thing,
And whereon th'heavens perpetually did smile;
Not for no ship had brought
From foreign shores or wars or wares ill sought.

But only for that name,
That idle name of wind,
That idol of deceit, that empty sound,
Called Honour, which became
The tyrant of the mind,
And so torments our nature without ground,
Was not yet vainly found;
Nor yet sad griefs imparts
Amidst the sweet delights
Of joyful, amorous wights;
Nor were his hard laws known to free-born hearts;
But golden laws like these
Which Nature wrote: "That's lawful, which doth please.'

Then amongst flowers and springs,
Making delightful sport,
Sat lovers without conflict, without flame;
And nymphs and shepherds sings,
Mixing in wanton sort
Whisperings with songs, then kisses with the same,
Which from affection came.
The naked virgin then
Her roses fresh reveals,
Which now her veil conceals,
The tender apples in her bosom seen;
And oft in rivers clear
The lovers with their loves consorting were.

Honour, thou first didst close
The spring of all delight,
Denying water to the amorous thirst;
Thou taught'st fair eyes to lose
The glory of their light,
Restrained from men, and on themselves reversed.
Thou in a lawn didst first
Those golden hairs incase,
Late spread unto the wind;

Thou madest loose grace unkind;
Gavest bridle to their words, art to their pace.
O Honour, it is thou
That makest that stealth, which Love doth free allow.

It is thy work that brings
Our griefs and torments thus.
But thou, fierce lord of Nature and of Love,
The qualifier of kings;
What dost thou here with us,
That are below thy power, shut from above?
Go, and from us remove;
Trouble the mighty's sleep;
Let us neglected, base,
Live still without thy grace,
And th'use of th'ancient happy ages keep.
Let's love; this life of ours
Can make no truce with Time that all devours.
Let's love; the sun doth set, and rise again;
But when as our short light
Comes once to set, it makes eternal night.

http://www.poetrynook.com/poem/pastoral-24

* * *
以下、ちょっとエッチでおもしろいからこの詩を訳したわけじゃない、
という自己弁護。(実際、ドキドキするほどエッチでもないし、
そういう意味でおもしろいわけでもない。)

むしろ、これがある意味でおもしろいのは、文学史的に
いろいろな要素の混交が見られるから。また、社会に対する
ある種のスタンスが見られるから。

この詩を構成しているもの(の例):

1
イチャイチャ的な(いけない)恋のお遊びを楽しげに描く
オウィディウスのエレジー集『恋の歌』(Amores)からの影響。
マーロウによるその英訳、ダンによるその翻案以来の流れ。
キーワードは "sport".
Jonson, ("Come, my Celia, let us prove") 参照。

エレジー:
「死を悲しむ詩」ではなく「エレゲイアという詩形で書かれた詩」

2
〈純潔〉(Honour)を暴君として描くシドニーの『アストロフィル』の
歌8の影響。

3
カトゥルス以来の「太陽は沈んでも昇る、でも……」のパターン。
カルペ・ディエムの定番フレーズ。
Jonson, ("Come, my Celia, let us prove") 参照。

4
ヘシオドス的な黄金時代賛美。
Cooke (tr.), Hesiod, Work and Days (1: 226-59)
Vaughan (tr.), Boethius, Consolation of Philosophy 2.5
など参照。

これらの思考の対立項は、この世の楽しみ・よろこび・幸せを
軽視・蔑視し、来世における幸せを重要視するキリスト教道徳。
性的にもこれはもちろん禁欲的。

カトリック:
理想は神と信者の結婚。人間同士の結婚は必要悪的な位置づけ。
「欲望に燃えるくらいなら結婚したほうがまし」 Better marry than burn.
(コリント人一、7:9)

プロテスタント:
人と人との結婚およびそこにおける性行為はすばらしいこと
--「生めよ、ふえよ、地に満ちよ」(創世記1:28)
結婚の外における恋愛等は禁止
--「姦淫するなかれ」(出エジプト記20:14)

これらのような聖典にもとづき、16世紀から17世紀前半にかけて
イギリスの聖職者たちは、姦淫・不倫を批判する説教をおこない、
また出版していた。
(その最たるものはエリザベス女王が刊行した公式説教集
Elizabethan Homiliesのなかの「姦淫禁止の説教」。)

つまり、古典を盾に恋の自由を歌う・謳うということは、
キリスト教的な、公式発表(建前)的な、「まじめ」な人たちの
価値観に対する、いわば「ノー」という回答だった、ということ。

このような意味で、文学史とは、そのまま社会史だったりする。
(そもそも文学以外の娯楽的活動が、かつてどれほどあったのか。)

* * *
この詩は、Delia初版(1592, STC 6243.2)に
所収されつつ(要確認)、第2版以降ではカット
されている(1592, 6243.3; 1594, 6243.4;
1595, 6243.5, 1598, 6243.6)。

内容的になにか支障があったということか。
上記マーロウ訳のオウィディウスも焼かれた(1599)。

* * *
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