晴走雨読

晴耕雨読ではないが、晴れたらランニング、雨が降れば読書、きままな毎日

アイヌ民族博物館とカイ君 

2015-05-24 16:59:29 | Weblog

 5日の豊平川ハーフマラソンでの大ブレーキの反省から、週末ランを中心に距離と強度を強めて走っていますが、今日は午前中の7.5km走×2回で少しやり過ぎてしまい、昼食は吐き気が酷く喉を通らず、1時間ほど倒れていました。こんなのは、久しぶりのことです。こんな情況なので、6月末のきたひろロードレースは、30kmにするか、15kmにするか迷いましたが、15kmにしました。

 アイヌ民族博物館とカイ君

 機会があって白老町にあるアイヌ民族博物館に行った。そこに、ソフトバンクのCMで有名になったお父さん犬・カイ君の子孫がいた。毛が白く、顔も良く似ていて、ただ気質はとてもフレンドリーであった。表示はアイヌ犬ではなく北海道犬であった。

 博物館などの施設内では、コタンの説明や古式舞踏の演舞、ムックリの演奏、展示物などを見ることができる。それぞれのコーナーで担当の方から解説をいただいたが、アイヌ民族のアイデンティティをしっかりと述べていたのが印象的であった。

 解説では、アイヌは、川の支流が海に注ぎ込む地点に数戸ずつ集落を作り、ずーっと北海道全体で3~4万人が増えもせず減りもせず暮らしていた。この数は、農耕をしない狩猟民族なので、その土地の生産力に見合う数、これ以上を養うことができないという数なのだろう。そこに突然、明治時代になりロシアの南下政策に国防上の危機感を覚えた時の政府による「北海道」開拓が始まった。その結果、それまでのアイヌの土地が奪われ、彼らの生活手段が失われた。彼らがいうには、仮にロシアの支配下になったとしても同様であったのではないか。その後、様々な差別を受けたことから、現在は多民族の共生をめざしているということである。

 *(*印は僕の感想)僕は説明員の方に「アイヌと沖縄で言葉や習俗などに共通点はありますか?」と質問した。元々、この国には原日本人とも言うべき狩猟民族が暮らしていて、おそらくアイヌ民族のような暮らしがあったのだろうが、そこに稲作を中心とした農耕民族の「和人」が入ってきて、原日本人は東北・北海道と九州・沖縄など南北に追いやられた。その和人の中で力を持ったのが天皇であり、天皇制は農耕社会を象徴している儀礼を今に伝えている。記紀神話は、天皇制の成立とともに、それ以前の歴史をデフォルメしたものだが、神話時代にある八百万の神の考え方などはアイヌ民族の持つカムイの考え方と類似していると思う。

 *天皇制に起源があるとすれば終わりもあるということになる。天皇制が、この国の農耕文化を象徴しているとすれば、現在の稲作の縮小傾向は天皇制を弱体化することに繋がっている。また、アイヌ民族のいう多民族共生社会は、理屈の上では天皇性と両立できないと思う。在日米軍の8割が本土にではなく沖縄に存在しているという情況も、この国の根柢にアイヌ民族がいうような同一の差別構造が存在するということになる。

 *カイ君を北海道犬と称するのは、本意なのだろうか。

 

 


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