晴走雨読

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「1976(昭和51)年5月10日のこと」 

2015-05-16 17:31:39 | Weblog

 アへ首相の安保法制への前のめりの姿勢にまともに反対しているのは、社民と日共だが、戦地に赴く当事者の自衛官の内心はどうなのだろうか。一つだけ言えるのは、社民と日共にこちらからは誰も心配してくれと頼んではいないよ、と。でも最悪は、米軍の一部に組み込まれて、有色人種は一番危険な最前線に送り込まれるという事態だ。

 

 「1976(昭和51)年5月10日のこと」

 「1976年5月10日のこと」は、何回かこのブログに書いた。(2014.12.24、2012.2.12ほか)僕21歳、大学3年目、札幌で行われた吉本隆明の講演会。

 『吉本隆明の逆襲 一九七〇年代、一つの潮目』(渡辺和靖著 ぺりかん社 2015年刊)が、「第十章 党派(セクト)の争い Ⅰ高橋和己を偲び埴谷雄高『死霊』刊行を祝う集会 北海道大学で」の稿で、その様子に触れている。

 (以下P125引用)「講演では、集会参加の唯一の趣意である『死霊』の思想的解説と現代性を客観的に述べることに意を用いた。」(渡辺氏の表現)

 「しかし会場からわたしへの〈質問〉なるものは『死霊』にかかわるというよりも、わたしに直接あてられたものであった。わたしは当惑と矛盾を覚え、そもそもこの集会に参加したこと自体が、場ちがいなのではないかという疑念をもつようになり、この内部矛盾は、北海道から東北へ、東北から京都へと拡大するばかりだったのである。」(渡辺氏の引用)

 

 人生には忘れられない日というものが幾日かあるが、何年も経過してからそういえばあの日は、とその日、その時間の記憶の比重が段々と上がっていくことがあると思う。21歳の僕は、自分からというより周りから連れられて講演に参加したように思える。当時の僕は、吉本氏に対する特別な思い入れもなかったが、戦後思想界の巨人が札幌に来るということで、どちらかというと野次馬的に参加したと思う。しかし、まだ脳みその方は若かったので、講演の様子については記憶に残っていたのである。会場は満員で、客席の間の通路や演壇の上の講師の周りまで学生で埋められていて、メットがゴロゴロと転がっていて、あの空間には未だ熱かった時代の余韻が漂っていたのだと記憶する。

 2011年の正月休みに、『完本 情況への発言』(吉本隆明著 洋泉社 2011年刊)を読みながら、そこには、『試行』1976年9月号「状況への発言」に吉本氏の講演についての報告が掲載されているのだが、改めて気合を入れて吉本氏の著作を読んでみようと思うようになり、それから4年あまり経つが、思想には突き放している部分もあるが、古書を中心に漁って読んでいる。その中で、僕の唯一の吉本経験、「1976年5月10日のこと」の比重が増している。

 『吉本隆明の逆襲』については、記述の中で、吉本氏からの引用部分と、渡辺氏の評論部分の区別があいまいで、というより渡辺氏が全面的に吉本氏の考え方に拠っているため、吉本思想の解説書にはなっているが、渡辺氏の吉本思想を通じた批評が成立していないというもの足りなさがある。吉本が、自身はマルクス者ではあるが、マルクス主義者ではないと言っているが、渡辺氏は吉本主義者に堕していると考える。

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