晴走雨読

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3.16 幻想忌 吉本隆明から学ぶ

2014-03-12 20:31:25 | Weblog

 昨年の3月24日、このブログで「私は、吉本の亡くなった3月16日を「幻想忌」と名付けたい。吉本の思想のひとつの核である、自己幻想、対幻想、共同幻想から発想した。今のところ、この国で、このような提案をしているのは私ひとりであろう。」と記した。

 吉本から何を学んでいるのだろうかと自分に問うと、教条的な左翼思想だった私に、もっと柔軟に、自由に考えてもいいのだよ、ということを教えてくれている。そして、もっと様々なジャンルに興味を持って、深く自分の頭で考えるという訓練が自由な思考のために必要だと教える。

 吉本氏が2012年3月16日に亡くなる少し前から、偶然にも私は30年ぶり位に吉本思想を再び追いかけ始めていた。氏が亡くなって直後から雑誌などにおいて吉本追悼ブームがあった。掲載されている評論をいくつか読んだが、2次的に加工された吉本思想を読んでも、評論を書いた者のバイアスがかかっているので、真に吉本が語ろうとしたであろうことを掴めなかった。そこからは、難解なのは承知のうえ、吉本本人が書いた文章を読みたいと思った。

 古書市に行くと吉本の著作が何冊か必ず出品されていた。残念なのは、既に市場における吉本の評価はそう高くないということだった。単行本1冊数百円というレベルなのである。今月から晶文社で吉本全集が刊行されるということだが、吉本の読者、おそらくその中心は60歳代半ばに差し掛かろうとしている年金暮らしの世代が、はたして1冊6,000円の本を数年間に40巻も買い続けることができるのだろうかと思うと最後まで刊行できるのか心配である。

 こう言っている私自身も、未だ決めていないのである。

 

 2014.3.15追記、東京および札幌で、吉本の命日を「横超忌」として偲ぶ集いが開催されるとの記事があった。横超とは、親鸞の言葉だそうだ。

 

 

 

 

コメント (3)
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