晴走雨読

晴耕雨読ではないが、晴れたらランニング、雨が降れば読書、きままな毎日

『釧路文学運動史(昭和編)』

2011-10-14 20:11:48 | Weblog

 

16日は北海道ロードレース、ハーフマラソンに参加予定。ただ、天候が心配。大雨で豊平川が溢水したため、コースが大幅に変更された。

 

 

 

 

『釧路文学運動史(昭和編)』(鳥居省三著 釧路市 1969年刊)

 

 自分の生まれ育った土地の風土が、その人の感性や物事の考え方に与える影響について。

 

 9月の終わりに釧路へ行った。人通りの絶えて久しい北大通に豊文堂書店という古本屋がある。

 「釧路関係の本はどこにありますか?」

 「この辺りです。」

 

 本書は、釧路市が1960年から発刊している「釧路叢書」の第十巻目、当時市長だった山口哲夫が序を書いている。著者の鳥居氏は、釧路を代表する文化人、編纂事務局には富永巌、大道寺博、佐藤尚らの名前が見られる。

 

 昭和の初めから敗戦までの20年間の文学史だが、詩作の他それほど盛んなものは無い。「文学不毛の地」といってもいいだろう。思えば、米も採れず、作物の生育も悪い冷涼な気候、人々は文学などにかぶれる余裕など無く、ただひたすら今日のために稼ぐ。炭鉱、水産・・明日の命の保障はない暮らし。

 

 子どもの頃、「いいふりこき」という言葉を良く聞いた。カッコウを付けること、気取った言葉を使うこと、まして文学などこの地では。

 

 戦前に活動した著名人では更科源蔵くらいか、戦争末期の大政翼賛会の頃には、子ども心にわずかに知った名前が出てくる。作熊宏平(市助役)、栗林定四郎(釧路栗林運輸会社社長)、船戸秀一(釧路郵便局長)、阿部力蔵(漁業)、菅原覚也(本行寺住職)、山本武雄(市職員、のちに市長)など。

 

 秀逸なのは、著者がまとめた巻末の年表である。昭和21927)年315日台風のため漁船に被害、同じく424日雌阿寒鳴動を開始、915日釧網線釧路標茶開通とある。昭和31928)年26日八千代座でトーキー上映、228日秩父宮来釧、昭和51930)年7月丸三鶴屋デパート開業、昭和71932年)81日市制実施10周年記念式典、9,522戸、51,586人・・昭和111936)年927,28日天皇行幸・・昭和201945)年714,15日空襲を受ける、罹災1,600戸、6,000名、死者177名、重軽傷者143名とある。

 

 

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