晴走雨読

晴耕雨読ではないが、晴れたらランニング、雨が降れば読書、きままな毎日

『哲学で解くニッポンの難問』

2011-05-08 13:29:28 | Weblog

『哲学で解くニッポンの難問』(三田誠広著 講談社 2011年刊)

 

 友人の「三田誠広って、結構深いよ!」という言葉を書店の棚の前で思い出して購入。

 

 三田と言えば、30数年前に芥川賞受賞作の『僕って何』を読んだが、ストーリーはあまり記憶に残ってなく、やわな全共闘青春小説といった印象しかない。でも今思えば、『僕って何』というテーマ、自分とは何か、私とは何者か、を問うことは、とても深い哲学的な難題を掲げたものだと驚く。

 

 さて、本書は、定年退職前のポスト団塊世代にとって必読書といっても良いだろう。ただ、団塊世代には少し手遅れ気味である。

 

 現実、定年、夫婦、老いなど7つのジャンル毎に、人生相談のような一問一答形式で書かれており、三田氏によるひとつひとつの答えは常識的で凡庸な感じなのだが、読み通すと人生観が変わるほどのインパクトがある。そこには、本書を貫く著者の哲学と広い教養というバックグラウンドを感じた。

 

 例えば、Q&Aはこんな調子である。

 

 Q:老後に向かい、お金がなくて困っています。(57歳・主婦)

 A:何にお金が必要なのか、やりたいことを十個書き出してください。

 

 Q:ボランティア活動で、皆から嫌われた。なぜなんだ。(63歳・無職)

 A:「元部長」ではなく、二十歳の若者の気持ちで女性に接してください。

 

 Q:わたしは家事が得意だ。それなのに妻はいい顔をしない。(62歳・NPO職員)

 A:ソバ打ちが自慢、料理が得意な夫ほど迷惑な存在はない。

 

 Q:いまは元気ですが病気になるのが心配です。(60歳・主婦)

 A:老いと病は避けられません。

 

 私は、元旦のこのブログに、

極私的今年の目標を表明すれば、もうひとつのご飯の食べ方を模索する1年にと考えています。この会社にぶら下がっていられるのも最大であと4,5年、生きている限りは「ご飯を食べる」ためは何かをしていかなければならないので、今とは別の収入を得る方法の手がかりを本気で考えようと思っています。

 私たちの世代は、団塊の世代が大量に退職したあとを追いかけて行っているのですが、彼らは今までもそうですが、社会を徹底的に食い荒らしていくので、その後に残ったスキマを見つけていかなければならないと思っています。」と書いた。

本書を読んで、会社に勤めている間は、なんだかんだと言ってもこれまでとそれほど大きく変える必要もなく、ひとつの流れの中で振舞っていけば良いので、あれこれ考える必要がないというぬるま湯の中にいるということがあらためてわかった。

 

 著者の言う定年後の産業廃棄物化する前に本書に出会えて良かったと思う。


コメント (3)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 日刊スポーツ豊平川マラソン | トップ | 近江の国 彦根城へ »
最新の画像もっと見る

3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
絶望的物象 (生住滅)
2011-05-11 18:36:25

僕に問われたら、次のように回答します。

Q:老後に向かい、お金がなくて困っています。(57歳・主婦)

A:お金持ちはお金がいくらあっても、お金に悩まされています。
  僕はお金がありませんが、困っていません。

Q:ボランティア活動で、皆から嫌われた。なぜなんだ。(63歳・無職)

A:会社にいた時には同僚から嫌われていたのに、今更、皆から好かれる人にはなれません。

Q:わたしは家事が得意だ。それなのに妻はいい顔をしない。(62歳・NPO職員)

A:奥さんの歓心をなんて下心は見透かされています、奥さんがあなたに気兼ねなく外出できるように、奥さんが不在の時にだけ家事をされたら良いですよ。

Q:いまは元気ですが病気になるのが心配です。(60歳・主婦)

A:病気の方が生きている実感を得られるものです、元気も病気のうちと思って下さい。

最初の問の答えは三田の冴えがあり、越える構造の回答がでてきませんでした。

60歳前後の方々が、ふっと立ち止ったときに、やり過ごしてきた自分自身のあまりにも空っぽの現実に向かい合っての悩みなのでしょう。

付け焼刃的に新たな生き様を装っても、自分と向き合い続けてきた厚みが無いため、今までと同じように流れるに過ぎません。

絶望的に手遅れであることを、知るだけでもヨシとしなければ・・・

でなければ、初老特有の鬱に見舞われる恐れがあります。
返信する
残り時間が・・・ (晴走雨読)
2011-06-05 20:57:45
 生住滅さま、コメントありがとうございます。

 最近、比較的近しい同い年位の方が大病をしたり、60歳そこそこで亡くなったりがあり、自分も含めて残り時間が比較的少ないことを感じます。

 大方の方が会社を定年退職するする際に、これからの第二の人生などと語りますが、私など今と全く別の人生などあり得ないと思っています。

 私たちは、「今、ここ」を全力で生きていく以外にないのです。

 
 未来は、私の前にあるように感じ、過去は自分の後方にあるように感じていますが、そなのでしょうか。

 天国は、空の上に、地獄は、地面の下に、と同じようなイメージを持っています。

 未来が、自分の後方に位置し、過去が、私の前に立ちふさがっていては、いけないのでしょうか。
返信する
不知知病 (生住滅)
2011-06-08 06:29:24

晴走雨読氏の「今、ここ」の有時について、また問われることについては言葉にすることが出来ませんので、書くことができません。
ですから、思わせ振りなことをメモしてお茶を濁します。

本屋で、NHKこころの時代(5/15ETV放送 見ていません。)のテキストが目に留まりました。
表紙に、仏陀最後のことばとして「怠るな」と大きく書かれていました。

「オー、インパクトあるなぁ。」と。
他の文献によると「怠ることなく修行を完成なさい。」と語ったとあります。

過去と未来からも自由になられたら如何でしょう。
ましてや、「全力」なんて心身に悪いことはもっての外です。

気付いたら、骨になっていて酸性土のため跡形もなく、宇宙の一部に還るだけのこと。
あっ、気付くはずもありませんね。

「語れば語れず、語れないから語る。」と、先哲の方々が語る逆説と同じことしか書けません。

のんべんだらりと怠けず沈思黙考なのでしょう。

* * *

とうとう放射能まみれのお茶が、市場に出るようです。
老母はお茶のひと時が大好きなので、これからは産地の確認をします。

食品の産地確認は、放射能が未検出となるまで続けます。
農水産業の方々への補償は東電の責務であり、消費者の健康で肩代わりするものではありません。
返信する

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事