2日続けてシブシブの雨、本日2日は営業日だったが、こんな夜は、雨読に限る。明日、天気が回復したら、晴走しよう。
『新たなグローバリゼーションの時代を生きて』(太田昌国著 河合ブックレット36 河合文化教育研究所 2011年刊)
河合塾の予備校生向け講演会をブックレットにしたものだが、学ぶべき考え方があったので記す。太田氏の話は、大学受験には全く役立たないと思うが、その後の思想形成のきっかけ位にはなるだろう。しかし、受験を前にしてそのような余裕があるのだろうかと心配。
河合塾自体は受験産業そのものだが、ポリシーがあるからか、罪滅ぼし的にかはわからないが、研究所を持っていてユニークな研究者を抱えている。以前は、亡くなった作家の小田実も所属していた。
ずっと釧路出身の太田昌国を追いかけている。氏の著作には、『「ペルー人質事件」解読のための21章』『ゲバラを脱神話化する』『日本ナショナリズム解体新書』『「国家と戦争」異説』『「拉致」異論』『暴力批判論』『拉致対論』などがあり、氏は一貫して第三世界に視座を定め、この国の現状を批判する。なぜか、釧路と第三世界論に通底するものを感じるのは、私も釧路という土地で育ったためか。
本書は、もし今、チェ・ゲバラが生きていたら、グローバリゼーションの現状にどのようなコメントをするだろうか、と問い、ゲバラは1959年に来日した時と同じく徹底的な米国批判の後、この国に対しては、米国の従属(ポチ状態)を一刻も早く断ち切るべきだと言うであろう、と答える。
太田氏の「国家の悲観主義(ペシミズム)、人民の(楽観主義)オプチミズム」という言葉が印象に残ったが、これは、ロマン・ロランの「知性のペシミズム、意思のオプチミズム」から来ているのではなかろうか。
国家を論じることのペシミズム、それは、国家権力の打倒、その後握った権力の悲惨の歴史を我々は学んでいるからだ。国民国家は黄昏を迎えている。国家に拘泥してはいけない。楽観主義で行こう。
もうひとつ太田氏の「自分の悩めることだけに悩んでいる、悲しめることだけに悲しんでいる」ことから「ちょっとはみだして、悩めないことを悩んでみる。悲しめないことを悲しんでみる。その一歩踏み出す。」という言葉。それは、国家に同一化している自分自身から自分を取り戻す言葉のようだ。
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