晴走雨読

晴耕雨読ではないが、晴れたらランニング、雨が降れば読書、きままな毎日

1970年

2010-05-11 22:06:57 | Weblog
 『思想の言葉Ⅱ「思想」1962―1975』(岩波書店編集部編 2001年刊)

 1970年の年表には、3月大阪で日本万国博覧会が始まるとともに、赤軍派学生、日航よど号をハイジャックとある。6月政府、日米安保自動延長を声明、7月初の光化学スモッグ発生、11月三島由紀夫、市ヶ谷の自衛隊でクーデターを扇動、割腹自殺とある。また、ベトナム戦争、三里塚闘争と世の中は騒然としていた。(私は、高校1年生)

 「思想」1970年7月号に掲載された、福田歓一東京大学教授、政治学)の『専門職業』から感じたことを記す。

 福田氏は、1970年以後「専門職業」(現在は、「専門職」という言葉が使われている。)社会の専門化と情報化の進行によって、その数が拡大するとともに、地位も上がっていくであろうと述べる。

 その中で、新しい分野に専門職が生まれ、また、才能に恵まれた青年は組織人への拒否を深めるとともに、専門職に進む傾向を予想する。

 しかし、日本の専門職には、自律性の不足、内部規律の不徹底、官民などの連帯が薄弱などの問題がある。

 最後に、プロフェッショナリズムを階級意識と民主主義の障害物としてきた「既成左翼」に問題を提起している。


 1969年でも触れたが、このエッセイにも労働観の問題が存在する。私たちの会社や組織には、いわゆる専門職と一般職、スペシャリストとジェネラリスト、事務系と技術系などの区別がある。

 そして、社員育成の方針や組織の形態、労働過程のあり方、ポストや賃金などの処遇を巡って、しばしば議論や対立が繰り返されている。

 中国では文化大革命において、精神労働と肉体労働の止揚が謳われ、知識人は批判されるとともに、都市から農村へ「下放」された。

 私は、組織における共同主観性の構築が労働観に必要であると考えるが、その共同主観性を作り上げるためにも、専門職のあり方を含め答えを見出したいと考える。

 主観的で、観念論的な議論になるが、組織マネジメントの上手い人、人の使い方の上手い人は、組織の構成員をいかに上手く乗せているか、言い換えれば、いかに「共同幻想」を持たせているかではないだろうか。
 
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする