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ケータイカンニング事件がトップニュースになっているが、それほど重大に扱う必要のある事件なのだろうか。確かに不正行為と思うが、韓国などでは既に発生していたのであるから、それに学んでいなかった大学も無策であったことを反省すべきと思う。
『大逆事件 死と生の群像』(田中伸尚著 岩波書店 2010年刊)
大逆罪は、1882(明治15)年施行の旧刑法第116条「天皇三后皇太子ニ対シ危害ヲ加ヘ又ハ加ヘントシタル者ハ死刑ニ処ス 」
また、1908(明治41)年施行の刑法第73条 「天皇、太皇太后、皇太后、皇后、皇太子又ハ皇太孫ニ対シ危害ヲ加ヘ又ハ加ヘントシタル者ハ死刑ニ処ス 」(1947年削除)を根拠とする罪である。
大逆事件は、今から100年前の1910年に「無政府共産」思想を以って天皇暗殺を計画したとして幸徳秋水ら24名に死刑判決、うち12名は無期懲役に減刑された事件。
この事件の特徴は、具体的な実行行為が裁かれたのでは無く、人が懐く思想が裁かれたのである。人の心、内面が国家によって決め付けられ裁かれる事に恐怖を感じた。人の思想というのは、多面的で、流動的で、ある意味混沌としているものではないか。それを、「無政府共産」と決め付けられ、その関係者として国家に殺された事件である。
さて、私たちは大逆事件を100年前の明治時代のことだったとして、民主主義の発達した現代とは違うとして済ますことができるだろうか。現代には無いと言い切れるであろうか。私は、時代を今に引き付けて本書を読んだ。
背後に何らかの意図を感じる小沢一郎強制起訴、オウム真理教事件も異臭騒ぎの時点で警察はサリンの存在を知っていた可能性があり、地下鉄事件は泳がされた可能性もあるとの見方もある。鈴木宗男氏も「国策捜査」と言っている。
国家や行政による人の内面への干渉、例えば教育現場で子どもたちに対する「心の教育」が行なわれている。今のところ、『生命を大切にし、他人を思いやる心、美しいものや自然に感動する心などの「豊かな心」をはぐくむとともに、子どもたちに豊かな人間性や社会性などの「生きる力」を育てるためには、学校、家庭、地域社会が一体となって心の教育に取り組むことが重要です。』(北海道心の教育推進会議より引用)とあり、当たり障りの無い抽象的な目標である。
しかし、ここには、「邪悪な考えを持ってはいけません、正しい心を持ちなさい」などと、矯正的な教育に転化する可能性があり、ある意味ここにも恐怖を感じる。
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