読書の途中でランニング。1時間半ほど汗を流す。気温が上がって(4~5℃)汗が出るようになった。
長距離を走ると身体に変化が生じる。髭が伸びる。その理由は、顔の表面の脂肪が減って髭が伸びたようなるのである。
『初期マルクスを読む』(長谷川宏著 岩波書店 2011年刊)
書名に魅かれて購入。30数年前の学生時代、初期マルクス、疎外論が流行していた。『経哲手稿』『ド・イデ』、『フォ論』を読んだ。
19世紀の思想家であるマルクスにとって21世紀の現代を想像するのは所詮無理である。それは、時代的制約として仕方が無いことだが、そもそもマルクスの思想には内在する欠陥があるのではないだろうか。そんな問題意識を持ちながら読み進めてみたい。
ノオト その1
第1章 ヘーゲルからマルクスへ ―マルクスのヘーゲル批判―
○大いなる転換期
ドイツ観念論は、集団における中心となる人間に決定を預けるのではなく、近代以後、単独の個人を考える主体として設定した。また、近代以前の神様の声が真理を告げるのではなく、自分の内面に用意されている能力によって、真理に到達できると考えた。
ヘーゲルが社会や歴史へ関心を持った時代背景として、市民革命、産業革命、国民国家の成立がある。
○現実への肯定感と体系的なるもの
ヘーゲルは近代社会に対して肯定感を持っていたと同時に体系的な思想家であった。対象に否定的であったり批判的であったりすれば、大きく視野を広げた全体的な体系を作るのは難しい。
*ここに、私も含めた左翼が絶滅種化した根本原因があるのではないか。現状における矛盾を否定的に、批判的に捉えることはできる。しかし、全体的な体系を持ちえていないのである。
卑近な例では、日共は消費税を批判しながら、福祉、医療、介護などの充実を求める。そこにバランスシートは存在しない。前衛と称しながら未来社会の展望を提示できない。
民主党政権の欠陥も、これまでの野党として批判はできるが、政権を運営しながら現状を変えていくというバランス感覚が乏しい。
残念ながら良かれ悪しかれ自民党は、清濁併せ呑む器量を持ち合わせていた。野党が批判する点は百も承知、できるなら一緒になって批判できたらどんなに楽であろうかと思ったこともあったのではないか。
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