アベとプーチンが27回も会談したのに領土問題は一歩も進まず、逆に2島返還の言質を与えてしまった。僕は、米ソとも曖昧にしてしまった北方領土の処理を考えると、まず日本は米国と交渉すべきと考える。米国の領土認識を確認して、ロシアが懸念する米国の軍事基地は作らない、非武装地帯にするなどの戦略を考えるべきだ。米国が北方領土問題に距離を置いているのが怪しいと感じる。
『日ソ戦争 帝国日本最後の戦い』(麻田雅文著 中公新書 2024年刊) ノオトその5 北方領土トルーマンはスターリンを咎めず
5.北方領土への作戦計画
(ソ連)1945.8.19ノヴィコフ空軍総元帥は、ソコロフ第9航空軍司令官に、部隊の一部を北海道・択捉島・国後島へ進発できるよう準備を命じる。
(再掲)(ソ連)1945.8.22待機命令。それで、極東ソ連軍総司令官は太平洋艦隊司令長官らに、北海道占領を断念しても樺太から択捉島・国後島へ部隊を送れるか検討を命じる。(色丹島・歯舞群島はまだ目標に入っていない。)
(再掲)(ソ連)1945.8.27北海道に艦艇、航空機が近寄ることを禁じる。
○ソ連が北方領土を占領したのは北海道占領を断念したのと表裏一体のことだった。
(ソ連)1945.8.28メレツコフ第1極東方面軍司令官は、南樺太の第87狙撃軍団の一部を択捉島・国後島へ輸送するよう命じる。
(ソ連)1945.8.28択捉島の留別(るべつ)に上陸。日本軍第89師団は武装解除。3,608人の島民は脱出できず。
(ソ連)1945.8.29メレツコフは、第87狙撃軍団に国後島と色丹島の占領のため大泊からの出航を命じる。
(ソ連)1945.9.1国後島の古釜布(ふるかまっぷ)に上陸。島民7,364人の約半数が脱出。同日、色丹島の斜古丹(しゃこたん)に上陸。色丹島・歯舞群島を守る日本軍混成第4旅団は武装解除。
(ソ連)1945.9.3歯舞群島(5島と岩礁、根室半島先端部と合わせて花咲郡歯舞村を構成し、村役場は現在の根室市内にあった。人口5,281人)、ソ連は「小クリル諸島」(千島列島の一部という意味)と名付け占領。9.7武装解除。
・(日本)千島列島・北方領土での捕虜は、8.18~9.7の期間で47,605人。民間人の死者は10人。(満州、南樺太に比べれば民間人の流血は少なかった。)
○(米国)1945.8.28米軍、日本本土への進駐開始、8.30マッカーサーが厚木飛行場に降り立つ。
(米国)1945.8.29マッカーサー司令部はソ連代表に、ソ連の占領地域として満州・38度線以北の朝鮮・「サハリンとクリル諸島」を提示する。
○問題は、ソ連が占領する千島列島がどこまでを指すのか、米ソ間で合意がなかったこと。前述のとおり、この曖昧さを利用し、ソ連軍はこの日(1945.8.29)以降に国後島や色丹島・歯舞群島を占領する。
(ソ連)1945.9.2戦艦「ミズーリ」で、日本と連合国の代表が降伏文書に調印。極東ソ連軍が降伏を受け入れる地域は、「満州・北緯38度線以北の朝鮮・樺太及び千島諸島」と正式に布告される。
(ソ連)1945.9.2スターリンはトルーマンに対日戦勝利の祝電を送る。
(米国)1945.9.5トルーマンが返電、ソ連軍が8.16以降も戦闘を続けたこと、北方領土まで占領したことを咎めず。
(米国)1945.9.8青森県大湊に米軍第9艦隊が進駐する。(歯舞群島の武装解除を終えた直後)
(米国)1945.10.4米陸軍の北海道への進駐開始。米国は北海道を占領できたが、その代りに千島列島をソ連に差し出した形となる。
(参考)『日ソ戦争 帝国日本最後の戦い』(麻田雅文著 中公新書 2024年刊)
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