晴走雨読

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『なつかしの給食』

2008-04-27 21:22:58 | Weblog
①『なつかしの給食 昭和30・40年代人気献立50品完全再現レシピ付き』(アスペクト編集部・編 アスペクト 1997年刊)
②『なつかしの給食 献立表 昭和20~60年代全国の献立表29献立秘話+アンケート大公開』(1998年刊)
③『なつかしの給食 おかわり 昭和50・60人気献立50品完全再現レシピ付き』(1998年刊)の3部作を図書館から借りて読み始めたら、「はまり」ました。



 私の場合、小学生だったのは、昭和36年4月から昭和42年3月でしたが、忘れてしまったと思っていた記憶が、封印されていただけだったのです。この本を手にした時から40数年前の事が、昨日のことのように蘇ってきました。

 給食で食べたあの独特の不自然な取り合わせのメニュー、切れ味の感じられない味、ペットよりも粗末なデザインのアルマイト食器とその消毒の臭い、楽しかった思い出は少なく、何となく給食にまつわる嫌な記憶を思い出しました。



 昭和30年代の給食の特徴は、コッペパンと鯨肉と脱脂粉乳でした。

 給食のコッペパンは奇妙なパンでした。市販のパンとは全く違うものでした。残して家に帰ってから食べようとすると、どうしてあんなに硬くなってしまうのでしょうか。翌日には、完全に固体でした。
 また、嫌だったのは、パンを入れた皿に残っている水がパンに滲みて、ふやけてしまった時です。パンのその部分が気持ち悪くて食べられませんでした。

 鯨肉も多用されていました。豚肉といっても脂身ばかりだったので、それよりはマシでしたが、竜田揚げにしても、煮込みにしても、独特の臭いがありました。

 脱脂粉乳なる米帝の放出品は、現在の脱脂粉乳である雪印スキムミルクとは似ても似つかぬ味と臭いでした。それでも、何とか飲みやすくしようとしたのか、泥のようなコーヒー粉末もどきを入れたこともありましたが、かえって不味いものでした。特に高学年になって、本物の牛乳(丹頂牛乳というメーカーでした。)が出るようになってからは、飲めなくなる生徒が増えたような気がします。



 色々と給食では難儀を重ねましたが、最上級生の6年生になると、何とか少し逞しくなり、何たって我が家の教えが「早飯、早糞」、飯を食うのと糞をするのが遅いのは軍隊では使い物にならないというものでしたから、クラスで密かに流行った早食い競争では、常にベスト3に入っていました。従がって、昼休みの時間が最も長かったのを覚えています。 

 あの頃の学校の給食時間では、あちらこちらで教師による拷問が行なわれていました。掃除の時間まで泣いていた子もいました。そんなになるとますます冷えて食べることができないのに。あれは、教育だったのでしょうか。

 本書に所収されている読者アンケートの感想に共感を覚えます。

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