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重田園江 『真理の語り手 アーレントとウクライナ戦争』 その1 プーチン どっちもどっち論 スターリニズム ナチズム ロズニツァ 実証性  

2023-08-27 14:06:36 | Weblog

「SAMEJIMA TIMES」からの転載です。「福島第一原発「ALPS処理水」の海洋放出について、科学と政治の双方の視点からフェアに解説しているのが、国際環境NGO「Friends of the Earth(地球の友)」メンバーのFoE Japanが公開している『【Q&A】ALPS処理汚染水、押さえておきたい14のポイント』」です。僕の抱いていた素朴な疑問に答えてくれました。

 

『真理の語り手 アーレントとウクライナ戦争』(重田園江著 白水社 2022年刊) プーチン どっちもどっち論 スターリニズム ナチズム ロズニツァ 実証性    

本書は、2022年2月24日に勃発したウクライナ戦争を根底から捉えることができる重要な著作だ。著者は、ハンナ・アーレント(1906~1975)の思想とウクライナの映画監督セルゲイ・ロズニツァ(1964~ )の作品を基に思考を進める。

「序章 アーレントの時代、ふたたび」(P9~P16)

アーレントは、「スターリニズムとナチズムを、同時代の二つの全体主義とし、しかもそれがソ連では戦後にそのまま継承された」(P13)と捉える。そして著者は、今のロシアに「跋扈する「ソ連の亡霊」、とりわけ秘密警察の暗躍が、世界への差し迫った脅威だ」(P13)という。

一方、ロズニツァの映像からは、「スターリン時代のウクライナは、他の東欧諸国同様、最悪の経験をしている。これらの国々は、ヒトラーとスターリンの両方から攻められその餌食となり、信じられないほどの人命が失われた」(P13)ことがわかる。

僕は、1年半前にロシアがウクライナに侵攻した際、僕の周囲の人を含めてこの国のほとんどの人がロシアに対して一方的な非難をあびせたことに対して違和を感じた。表面的にみるとケンカと同じで先に手を出した方がなんたって悪いとなる。従ってロシアが悪いということなのだろう。でも僕はこれに組みしたくなかった。僕には、ほとんどの人が一方の見解に流れた時は直感的におかしいと感じる性癖がある。ちょっと待てよと。

僕は、ロシア、ウクライナのどちらにも原因があるという「どっちもどっち論」をとった。NATOの東方拡大に対するプーチンの恐怖感と警戒感は理解できる。そして昨年(2022)末にバイデン政権は、自らは戦わない、米兵の血は流さないという不戦の意思を表明してプーチンを挑発した。それに乗ってしまったプーチンの誤った政治判断は致命的なものになりつつある。一方のゼレンスキーも、ウクライナが簡単にNATOに加盟でき、その場合NATOが同盟国を支援してくれるだろうというこちらも誤った情勢判断をしてしまった。そして開戦後に続いているのは、アメリカ及びその同盟国からの武器供与に依存したウクライナの主体性なき戦いだ。戦線は米国などの外部からコントロールされている。ロシアもウクライナも政治指導者が判断を間違ったために両国の多くの国民の命が失われている。どっちもどっちなのだ。これが僕のとった議論だ。しかし本書を読んでいくと、それがとても表層的な議論だったということがわかる。

本書を読むともっともっと深堀が必要だということがわかる。歴史を振り返ってみて、ロシア、ウクライナ、東欧諸国がこれまでにどれほど残酷な経験をしてきたのか。この地域では、人の命が本当に軽く扱われてきたのだ。国同士の戦いにおいて、また国の内部における国民同士で、さらに国を超えて、民族間の凄惨な殺し合い、言論弾圧、暗殺という底知れぬ闇を経験しているのだ。そして今もこの地域に暗雲が立ち込めているのだ。それらを踏まえない議論は浅薄だと著者はいう。

さらに著者が学問の現状を批判する言説にハッとする。今の主流は「データに基づく比較研究、エビデンスに基づく科学的分析、量的・統計的な「実証性」の重視」(P15)となっていないだろうか。「だが、「いまあるもの」の定量的記述や比較が、有限性と歴史的一回性を生きるしかない人間の生の条件のなかで、どれほどの意味をもつだろうか。歴史をつうじて過去へと問いかけ、そこに在った「事実」に目を向けることで、何が現在を作っているのかを理解しようとすること。こうした試みの方がずっと魅力的ではないだろうか」(P16)と著者はいう。

思い当たることがある。最近のNHK番組において、過去の日記や記録などにおける単語の出現数をAIで分析し、それをもって時代の特徴としようとする手法が散見される。あえて数値化して客観的な裏付けとする方法だ。僕は視聴していていつも違和感を持っていた。あえて無駄な手間暇をかけなくても人間の持つ総合的な分析力、共感力、直観力の方が本質をずっと深い所で掴んでいると考える。

 


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