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『拉致対論』 その3

2009-09-15 19:10:15 | Weblog
 Light Rail Transit(LRT)と言うと新しいもののようだが、市電というとレトロな感じが漂う。函館では、市電が市内を移動する有力な交通手段である。

 

 『拉致対論』(蓮池透、太田昌国著 太田出版 2009年刊)その3 

 第3章「経済制裁は悪しき袋小路。交渉へ」より

 「家族会の増元照明事務局長は、2009年になっても、「朝鮮人の大半は強制連行ではなく、徴用など経済的な理由で流れてきたのではと考える」(北海道新聞2009.3.31札幌圏版朝刊)と語っている。」(太田)

 「『強制連行』も『徴用』も、1910年に始まる日本による植民地支配の全体的な枠組みの中でなされたことです。」(太田)

 「家事会は、最初はそういう会ではなかったはずなんです。」「歴史観を注入していったのは、救う会だったわけです。」(蓮池)

 「ブッシュ大統領と横田早紀江さんが会っても、ブッシュ氏は『横田早紀江』という名前すら覚えていなかった。『マザー』と呼んでいた。ブッシュ氏との会見はパフォーマンスにすぎなかった。」(蓮池)

 「私は確信をもって言えますが、弟ははっきりと言わないけれども、日本に対して相当な恨みや絶望を持っていると思います。信頼も期待もしていません。」(蓮池)

 「弟たちは北から来た情報源としか捉えられていなかったと思います。5人が一時帰国で帰ってきた時に、北朝鮮に帰らないように必死で止めたのは家族会ではありません。5人それぞれの家族だけでした。『返すなよ』と言ってくれたのは石高さんと兵本さんだけでした。」(蓮池)

 「彼(安部)はいちばん家族会を利用した政治家で、家族会を前面に出して自分が後から付いていくというやり方で総理にまでなった人です。総理になった後は、家族会に対するご機嫌とりしかありませんでした。」(蓮池)

 
 蓮池透氏がかなり思い切ったことを発言しているとこがわかる。家族会事務局長時代とは「天と地」の違いである。弟とその家族が帰ってきたゆえに変わったのか、冷静に考えることができる何かきっかけがあったのか。

 同じ境遇で運動を進めてきた他の家族会のメンバーから見れば、変節、裏切りなのであろうが、所詮家族会はその位の結びつきなのでしょう。

 




 



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