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伊藤邦武他責任編集 『世界哲学史6-近代Ⅰ啓蒙と人間感情論』②「国家を考える」ノオト その3 

2020-11-10 09:59:18 | Weblog

僕らホモサピエンスがアフリカ大陸で誕生したのが20万年前、その一部がアフリカを出たのが10万年前。農耕・牧畜を始めたのが1万年前。いわゆる核のゴミを10万年間埋設するという。今生きている人間の想像を超える時間の長さだ。その間の海面、火山、地震、地殻などの変動は予測できない。穴を掘って埋めるというのはいかにも原始的だ。技術を持ち合わせていないのならば急ぐことはない、じっくりと原発廃炉や核廃棄物処理の技術開発に向き合うべきだ。「脱原発」を唱えても目の前にある現実は変わらない。

 

『世界哲学史6-近代Ⅰ啓蒙と人間感情論』(伊藤邦武他責任編集 ちくま新書2020年刊)② 「国家を考える」ノオト その3

前回はホッブズの自然状態『万人の万人に対する戦争』を取り上げたが、同じく第3章「社会契約というロジック」(西村正秀)では、それとは異にするルソーの考え方を解説している。

ルソーは『人間不平等起源論』(1755年)で、(P89)「原始状態(自然状態)では、人間は言語も生活技術も住居も持たず、孤独に森の中をさまよう自由な存在者である。(狩猟採集生活)人間の行動原理は自己愛と憐れみという感情であり、前者は自己保存へ、後者は自己保存の欲求の緩和へと行為を向かわせる。ルソーはこれらの感情を『自然の徳』として肯定的に評価している。原始状態では人間は平等であり善悪も持たず、社会性は欠くが他人と争いもおこさない。」

「だが、人口が増えだすと人々は他人との交流が増え、理性が発達し始めて、共同作業を行う段階に移行する。やがて共同体が形成されるが、ここでは各人が互いを評価し、自尊心という感情を持ち始める。そして、農業や冶金を行い、土地を分配して財貨の私有を始める。私有は不平等を招き、人間同士の争いを激化させる。」

「それを回避させるために統治機関が社会契約によって作られるが、これは富者が貧者をだまして私有と不平等を法律で固定する契約である。この社会は最終的に専制主義となり、人々は支配者に服従するだけの奴隷状態に陥る。」と。

ルソーは自然状態を肯定的に評価したが、その後の人間同士の争いを回避するために社会契約によって統治機関を作るというところはホッブズと同様の議論だ。その結果、人々は奴隷状態に陥ると危機感をあらわす。では、「どのような社会ならば人間は奴隷状態に陥らずにすむのか。」ルソーは人間の自由、自己決定の自由を社会契約において死守しようとした。

以上、ホッブズ、ルソーの考え方を踏まえて人類史を学んでいきたい。

 

 


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