近頃の首相動静を見ると、スカ総理は秘書官など取り巻き以外との会食がほとんどないことがわかる。これは財界人など旧来の自民党応援団さえスカ氏に期待を持っていないことの現れなのだろう。スカ氏の役割は次期政権までのつなぎを担う悪役といったところか。もっともあのしゃべりと悪相では会話が盛り上がるはずない。自助してください。
『世界哲学史6-近代Ⅰ啓蒙と人間感情論』(伊藤邦武他責任編集 ちくま新書2020年刊) 「国家を考える」ノオト その2
本書の「『もし統治機関がない世界で人間が生活を送ったら』という思考実験」(P76)は、重要な問いかけだと考える。第3章「社会契約というロジック」(西村正秀)では、ホッブズ、ロック、ルソーなどの社会契約論を解説している。統治機関がない世界では、「自分の欲求を満たすという人間の利己的性格が容赦なく発揮されて、様々な争いが生じると予測できる。だが、この世界には警察も裁判所もないので、争いは上手く解決できない。(自然状態)そこで、人びとは多少窮屈な思いをしても、自分たちを法的拘束のもとで保護してくれる統治機関(国家)を合意によって設立するというのが社会契約論の基本構造である。」と説明される。
ホッブズは、「自然状態では物を手に入れるための競争、互いの不信感、自分の優位性を他人に示そうとする行為が生じて『万人の万人に対する戦争』という状態が生じるというわけである。」(P79)という。これを回避するために国家(統治機関)が必要になり、これが国家の起源の理論的根拠として示される。
僕はこんな疑問を持つ。このホッブズ的な自然状態は本当にそうなのだろうか。自然状態すなわち統治機関(国家)が存在する前の世界はどのようであったのだろうか。「自然状態でも何らかの決まりがあるのか、自然状態で生活する人間はどのような本性を持つのか、自然状態は現実的に存在するのか」(P77)今僕が人類学に興味を持ちはじめている理由である。
ポイントは国家の起源にある。およそ通説は、このようであろう。1万年前、人類は農業を開始し必要な栄養を効率的に得ることが可能になったため、移動性の狩猟採集生活を脱して、定住を始めた。そこに文明・文化が興り国家が出現した。果たしてこのストーリーは真実なのだろうか。引き続き、問題提起の書である『反穀物の人類史』(ジェームズ・C・スコット著)から学んでいきたい。
ホッブズ的な自然状態に対する懐疑から見えてくるものがあるのではないか。
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