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桐山襲 『パルチザン伝説』(桐山襲全作品Ⅰ)

2019-09-28 15:37:21 | Weblog

今月は中学・高校時代と、そして学生時代の同級生と会う機会があった。つもる話は数々あったけれども、皆元気なのが何よりだった。あの頃のあの場所でもう一度会いたい気持ち、そして旧友再開フォーエバーヤングだ。

 

『パルチザン伝説』「桐山襲全作品Ⅰ」(桐山襲著 作品社 2019年刊)

かなり前のことだが『パルチザン伝説』を読んだのは『文藝』だった。その後単行本化をめぐって混乱があったことも覚えている。今回この「桐山襲全作品Ⅰ」に収められた『「パルチザン伝説」事件』を読み、その顛末を知ることができた。ちなみに『文藝』は1983年10月号、『「パルチザン伝説」事件』は作品社から1987年8月に刊行されている。

桐山襲は1980年代の短い期間にそう多くはない作品を残して若くして亡くなった作家である。ほとんど明かされていない作者のプロフィールは、取り上げたテーマの異色さとともに一層作品に神秘性を帯びさせた。本作品は、ポツダム宣言受諾阻止クーデターを企図した父、連合赤軍と思われる活動で傷ついた兄と東アジア反日武装戦線の虹作戦と思われる闘いに加わった主人公たちの、世代を超えたパルチザン伝説である。作者の意図は、1968の闘いの意味を1983になってようやく小説という作品に表現することができたというところだろうが、週刊新潮をはじめとした右派メディアは不敬小説と決めつけ世論を煽動した。

小説が発表されたのは、すでに30年以上も前なのだが、当時の情況ではその内容があながち荒唐無稽なストーリーとは受け取られず、著者はこの国に横たわるある種の書いてはいけないことに触れた、タブーの領域に足を踏み入れたということで、警戒されたのだ。逆に言うと当時の僕が興味をひかれ強い印象を持って読んだのは、そこの部分に引かれたからだった。

今回、再読して30数年という時間の経過とともに、自分が随分と遠いところに来てしまったと思った。反面、まだ燃えカスのような自分の中にも少しの残り火を感じる、妙な感傷を覚えた。その頃の自分を思い出すと、カオス的な情況に喜びをかんじる危なっかしさを持ち合わせていたと思う。その後、市民社会の中で、会社組織の中で、驚くほど適合できてしまった自分、全身にあったトゲトゲがカンナで薄皮を剥がすように削られ、ツルツルになってしまった自分がいる。そしてもう戻ることはできない、もう何事もなすことはできないことを覚る。

その後、本作品は『パルチザン伝説 桐山襲作品集』として、本作品集に入っている『亡命地にて』とともに収録され1984年6月に作品社から刊行された。

 

 


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