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国際競技連盟(IF)などが2030札幌五輪・パラ会場変更を求めている。スピードスケートもフィギュアも札幌で開催できない可能性が生じた。(道新10.30)市民の税金を投入する意義がますます見えなくなった。疑問がある。札幌市議会民主市民連合(立民系)が秋元与党として今に至っても自公と共に招致活動に賛同していることだ。市民感覚とずれていて、来春の市議選で有権者から見放されること必至!
右鎖骨骨折のその後② 釧路南大通商店街
僕の骨折も突然のことだったが、クロは小学校3年生のお正月明けに我が家に突然やって来た。生後10日位に見えたので誕生日をクリスマスイブの12月24日にした。
さて、何を食べさせたらいいか、我が家は大騒ぎ。上品過ぎたのかパンに牛乳を浸したのは全然食べない。それで、残っていたご飯に味噌汁、魚の骨を加えたらポリポリと美味そう。すでに母犬と同じ犬まんまを食べていたのだろう。以後、我が家の生ごみ処理を任せることになった。
父の話では、兄弟(姉妹)犬は数匹ほどいたが、その中で一番「きかんぼ」を選んだと。道理で母犬に怒られてかじられたのか片耳の上の部分が欠けていた。その後、家族の一員として順調に育ったが、やはり四つ目ワンコはきかない。近所の犬とケンカしても無敵だった。
クロが生まれたのは南大通の商店街。祖父母は呉服屋を営んでいたが、隣は楽器屋さんで、近所には、果物、お餅、帽子屋さん、ハイヤー会社、サイダー工場、お蕎麦屋さん、日用品ストアー、映画館、・・が並んでいた。母犬と一緒にリヤカーを曳いて来てくれるおばちゃん魚屋さん。
隣近所でお互いが買い物をし合う関係があった。付き合いで買いこともあったとだろう。子どもたちは店と店の間のわずかな空間で、ビー玉やパッチで遊んだ。小さな共同体が成り立っていた昭和の良き時代だ。その後、店主たちは高齢化し、後を継ぐ者も減り、また郊外に大型スーパーが進出してくるにつれ、櫛の歯が欠けるように閉店が続きかつての街は消えてしまった。
自営業を営んでいた人たちが減少し、勤め人化していったのは全国的な傾向だ。地域のコミュニティが壊れてしまい、人と人のつながりが希薄になり、困った時に頼るサービスにはお金が必要になってしまった。
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